一般恩寵と聖霊の働き


2026年2月1日礼拝

一般恩寵と聖霊の働き

―― なぜ今は保たれているのか、そしてなぜ十字架が必要なのか

1.この世界は「大丈夫そう」に見える。しかし、それは永遠ではない

私たちは、戦争や犯罪、不正があっても、「それでも世界は回っている」と感じながら生きています。

多くの人はこう考えます。

  • 人間は失敗もするが、基本的には善い存在だ
  • 悪い人は裁かれるかもしれないが、普通に生きている人は大丈夫だろう

しかし聖書は、少し違う角度からこの世界を見ています。


2.聖書が語る人間の現実(断罪ではなく診断)

創世記6:5

「主は、人の心に計ることが、いつも悪いことだけであるのをご覧になった。」

これは「人は常に悪事をしている」という意味ではありません。

むしろ、

  • 正しいと分かっても続けられない
  • 自分中心から完全に自由になれない
  • 善と自己正当化の間で揺れ続ける

人間の内側の壊れやすさを示しています。

それにもかかわらず、世界はすぐには滅びませんでした。


3.なぜ滅びなかったのか ― 一般恩寵という神の忍耐

その理由を、聖書はこう説明します。

神の霊が、人間社会の中で悪を抑え続けておられたからです。

これを「一般恩寵」と呼びます。

一般恩寵とは、

神が、信仰の有無に関わらず、

世界が完全に壊れてしまわないように支えておられる働き

です。

  • 良心が残っていること
  • 正義や秩序を守ろうとする感覚
  • 弱い者を守ろうとする思い

これらは、人間の善良さの証明ではなく、

神がまだ世界を見捨てていない証拠です。


4.しかし、一般恩寵は「免罪符」ではない

ここで、聖書ははっきりと線を引きます。

ローマ1:28

「神は彼らを、その思いに引き渡された。」

これは、

神が突然怒って裁きを下す、という話ではありません。

意味はこうです。

神を必要としない選択を続けるなら、

神は、抑えていた手をやがて離される。

一般恩寵は、裁きをなくすものではなく、裁きを遅らせているものです。


5.ノアの時代と、今の私たち

イエスは言われました。

ルカ17:26–27

「人の子の日に起こることは、ノアの時代のようだ」

ノアの時代の人々は、特別に残酷だったわけではありません。

彼らは普通に生活し、「明日も今日と同じだ」と思っていました。

問題は、神の忍耐の中に生かされていることに気づかなかったことです。

そして、裁きは突然やって来ました。


6.では、裁きを免れる道はあるのか

ここで聖書は、はっきりと希望を示します。

裁きがあるからこそ、神は逃れの道を備えられたのです。

それが、イエス・キリストの十字架です。

十字架は、

  • 善人がさらに良くなるための教えではありません
  • 道徳的に優れた人へのご褒美でもありません

十字架は、

裁かれるべき人間を、

神ご自身が引き受けられた場所

です。

だからこそ、裁きから逃れる道は、努力でも善行でもなく、

キリストに信頼することなのです。


7.一般恩寵の目的は、ここにある

一般恩寵の目的は、

「この世界は大丈夫だ」と安心させることではありません。

それは、

十字架に向き合う時間を与えるため

です。

世界がまだ保たれているのは、人間が十分に良いからではありません。

神が、まだ待っておられるからです。


8.結び ― 今は「裁きの前」ではなく「招きの時」

今は、

裁きが始まった時ではありません。

今は、悔い改めと信頼へと招かれている時です。

ノアの時代に箱舟が一つだったように、

今も、救いの道は一つです。

神の裁きは必ず来ます。

しかし神は、裁きの前に逃れの道を用意してくださいました。

それが、イエス・キリストの十字架です。

一般恩寵が続いている今、あなたは偶然ここにいるのではありません。

今、神はあなたを、十字架のもとへ招いておられるのです