すべてを知って、それでも進んだ王

2026年3月29日 しゅろの日曜日

聖書:ヨハネの福音書12章13節

イントロ

私たちは皆、感情を持って生きています。

嬉しいとき、悲しいとき、腹が立つとき、不安なとき。
それらは人間らしさであり、悪いものではありません。

しかし同時に、こう思ったことはないでしょうか。
• 人の言葉に傷ついて、距離を置いてしまった
• 一度の裏切りで、もう信じられなくなった
• 感情に振り回されて、人間関係が壊れてしまった

実は、私たちは
「相手の本音」を知ったら、もっと苦しくなる存在です。

では、もし
すべての人の心を知っていたらどうなるでしょうか?

Ⅰ.すべてを知っていた方

イエス・キリストは、特別な存在でした。

聖書はこう語ります。

ヨハネの福音書2章24節
「イエスはすべての人を知っておられた」

つまりイエスは、
• 誰が本気で信じていないか
• 誰が後で裏切るか
• 誰が自分を見捨てるか

すべて知っていたのです。

普通ならどうでしょうか。

そんなことが分かったら、
• 心を閉ざす
• 人を避ける
• もう関わらない

そうなるのが自然です。

しかしイエスは違いました。

すべてを知って、それでも人を愛したのです。

Ⅱ.歓迎の裏にあった現実

しゅろの日曜日、イエスは歓迎されました。

人々はこう叫びました。

「王だ!救い主だ!」

しかしイエスは知っていました。

この同じ人々が数日後、態度を変えることを。
• 「十字架につけろ」と叫ぶことを
• 誰も自分を守らないことを
• 見捨てられることを

それでもイエスは、止まりませんでした。

なぜでしょうか?

Ⅲ.なぜ進んだのか

答えはとてもシンプルです。

あなたを罪の裁きから救い出すためです。

イエスが向かった先は「十字架」でした。

それは当時、最も残酷な処刑方法です。

ではなぜそこへ行ったのか。

聖書はこう説明します。

ペテロの第一の手紙2章24節
「キリストは私たちの罪をその身に負われた」

ここでいう「罪」とは、
• 自分中心に生きること
• 人を傷つけること
• 神を無視して生きること

つまり、人間が誰でも持っている問題です。

イエスは、

その責任を自分が引き受けるために十字架に行かれた、のです。

Ⅳ.愛とは何か

私たちはよく「愛」と言います。

でも現実はどうでしょうか。
• 自分に優しい人は好き
• 傷つける人は嫌い
• 条件付きの関係が多い

しかしイエスの愛は違います。

すべてを知った上で、それでも愛するのです。

裏切られると分かっていても
拒否されると分かっていても
それでも近づく愛です。

Ⅴ.この話はあなたに関係あるのか

ここが一番大切なポイントです。

この話はあなた自身の人生の話です。

なぜなら、

私たちは皆、
• 誰かを傷つけ
• 誰かに傷つけられ
• 完全には生きられない存在だからです

その現実に対して、イエスは言います。

「あなたを知っている。でも、それでも愛する」

まとめ

イエスは
• 人の本音をすべて知っていた
• 裏切りも知っていた
• 苦しみも知っていた

それでも

止まらずに進まれた

それは

あなたを救うためです

最後に

人生で一番大切な問いはこれです。

「私はどう生きるか」ではなく
「私は救われているか(天国に行けるのか)」

イエスがあなたのために十字架にかかったなら、

あなたはどう応答しますか?