永遠に神を喜ぶこと

永遠に神を喜ぶこと

2025年7月20日 メッセージ原稿

聖書箇所:

詩篇16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

先週は、神の栄光を表す生き方を学びました。

一言でいえば、神の栄光を表す生き方とは自分のために生きるのではなく、神のために生きる生き方です。口では簡単ですが、その差は天と地ほどあります。また、それは身近な小さな一つ一つの決断や考え、行動に及びます。どんな人でも何かをする時、それが神のためなのか、それとも自分のためなのか、のどちらかなのです。これらはしばしば混ざります。だからこそ御霊に導かれて吟味することが必要です。

さて、今日は後半です。

ウェストミンスター小教理問答の第一問は、次のような内容です。

問:人の主な目的は何ですか?

答:人の主な目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです。

英語では、enjoy God と書かれています。enjoy とは、一瞬の感情ではなく、「味わい楽しむ」という意味です。また、enjoy とは関係性であって、神との関係を喜ぶことも含んでいます。

今日は、「神を永遠に喜ぶこと」についてお話しします。最初に神を喜ぶ理由を考えてみましょう。


I. 神を喜ぶ理由:神は愛のお方

神様は愛なる方です。この愛は神の御性質であり、永遠に変わらないものです。

どこを切っても同じ模様の金太郎飴のように、神という存在に触れれば、いつでも愛がある。これが神です。

一方で人間の愛は変わります。相手や状況、自分の気分によって左右されるものです。私たちは罪の性質を持っているため、いつも愛を持ち続けることはできません。

しかし、聖霊に満たされることで、愛を保つことは可能です。

神の特別な愛

神の愛は、太陽のようです。すべての人に光を与えますが、夜にはその光が届きません。

しかし、ある人たちは夜のような暗闇の中でも、神の光と熱を受けることができます。それが、神との特別な関係に生きる人たちです。

神の愛は「片思い」ではなく、「両思い」になるとき、より豊かに注がれます。恋愛や結婚にたとえられるほど、深くて親密な関係です。

救いとは、まさにこの神との愛の関係に入ることです。


II. 神を喜ぶとは何か?

(1)間違った喜び:損得や物質に依存した喜び

現代人の価値観は「損か得か」に傾いています。これはニュースでも、買い物でも、人間関係でも見られます。

この影響で、神の愛や祝福まで損得で判断してしまうのです。

しかし、神の愛は「私のために何をしてくれるか」では測れません。

神様の祝福とは、私たちを物質的に豊かにすることとは関係ありません。

お金はそれ自体が悪いものではありませんが、「神」となり、私たちを支配してきます。

ウォーレン・バフェットは、お金に支配されることの問題を知っています。彼は若い頃に買った、今でいえば4,000万円くらいの家にずっと住んでいます。また、車は普通の車で、中古車を買い替えています。普段の昼食はマクドナルドのセットを食べます。彼には1,000億ドル以上の資産があると言われていますが、その99%を寄付にあてると言っています。また、子どもたちには「何もしなくても良いほどのお金は残さない」と言っています。

(2)間違った喜び:脳内物質に依存した喜び

現代社会は、「喜びを」追求する社会です。そして、薬で喜びを味わうようになりつつあります。人々はより強い喜びや安心感を求めて、麻薬に手を出すようになりました。これは、私たちの社会における極めて深刻な問題です。

これらは有名な脳内物質です。

  • ドーパミン:達成感・快感
  • エンドルフィン/オピオイド:鎮痛・快楽
  • セロトニン:安定感
  • オキシトシン:親密感

これらは、神が人間に与えた脳の働きですが、科学の進歩とともに、それを人為的に作り出せるようになりました。

現在、もっとも危険な麻薬とされているのが、フェンタニルという麻薬です。これは簡単に合成できる毒薬です。今後、殺人のために使われるかもしれません。

私は2002年から貧困問題に取り組んできましたが、今もっとも深刻なのは経済的貧困ではなく、精神的貧困です。依存という問題です。

一言で言えば、「誰にも必要とされていない」と感じる孤独。それが人を依存へと追いやっていきます。

薬物がもっとも危険ですが、最近ではデジタル依存も深刻です。人々は、心の辛さから一時的な喜び・快楽を求めて、人生をダメにしてしまうのです。


III. 本当の喜びとは:神の臨在の中にある喜び

1. いつも共にいてくださる方

詩篇16:11にこうあります。

「あなたの御前には喜びが満ち、

あなたの右には楽しみがとこしえにあります。」

神の臨在こそ、喜びの泉です。

神と共にいる時、愛に満ちた神が、私たちを深く満たしてくださいます。

「あなたの右」とは、神と共にいる場所。そこに永遠の楽しみがあるのです。

日常の生活の中で、いつも神が共におられることは、喜びと安心を与えてくれます。寂しさは誰かを求めさせ、悲しさは共感してほしくさせます。また、喜びは分かち合いたくなります。友人とはそのような存在です。主イエスは、いつも一緒にいてくれる友人なのです。

2. 神は苦しい時の隠れ場となってくださる

苦しみが大きかったり、また、長い時間続くと、人は人生から逃げ出したくなります。しかし、逃げても解決はありません。むしろ、より大きな問題が戻ってきます。

そういう時には、逃げるのではなく、「逃げ込める場所」が必要なのです。神のところは、一時的に逃げ込める場所=隠れ場なのです。

苦しみの中で間違ったところに行くと、人生は悪くなります。良いところに行くと、人生で大切な忍耐と、それに打ち勝つ力を養うことができます。神の隠れ場はそういうところです。魂を休ませ、問題を解決していく力を与えてくださるのです。

多くの人が知っているこの聖書箇所は、このことを示しています。

マタイ11:28

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

3. 永遠の希望を持っているから

三番目に、神は希望です。この世で生きることは大変です。それは、クリスチャン、ノンクリスチャン両方です。

しかし、同じ苦難の中でも、私たちには永遠の希望があります。それは、死と共に神と永遠に過ごす場所に移されることです。それは確実な希望であり、聖書はそれを確信させてくれるのです。パウロはこのように言っています。

ローマ5:2–5には、苦難さえも喜びとされる理由が書かれています。

  • 苦難 → 忍耐 → 品性 → 希望
  • そして、その希望は決して失望に終わらない  なぜなら、聖霊によって神の愛が注がれているからです。

この世はパラダイスではないし、パラダイスになることもありません。

しかし、失われない希望をもって肯定的・積極的に生きることはできます。

それが、「神を喜ぶ人生」なのです。悲しみと苦しみの中で、心で喜ぶことができる人、それがクリスチャンです。


復習して終わりましょう。

私たちが神を喜ぶ理由は、

  • 神に愛されているから
  • 神に導かれているから
  • 神の希望が永遠にあるから

地上の人生に痛みがあっても、それは神の偉大なご計画の一部です。

そして人生の最後には、失望のない天国の希望が私たちを待っています。


祈りましょう

愛する天の父なる神さま、

今日、あなたの御言葉によって、私たちの人生の目的が「あなたを喜ぶこと」であると知りました。感謝です。

しかし、私たちは日々の中で、喜びを見失ったり、自分の思い通りにならないことで不満を抱いたり、神の愛を疑ってしまうことがあります。

主よ、あなたの臨在がどれほど豊かで、永遠の喜びをもたらすかを、もう一度、心の深いところで知ることができるようにしてください。そして、苦難の中でも希望を失わず、「神は共におられる」と信じ続けられるよう、聖霊によって私たちを支えてください。

また、目に見えるものではなく、あなたの真実と愛に目を向けて、永遠にあなたを喜ぶ者として歩む力をお与えください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。

アーメン。