教会への愛
教会への愛
2024年11月3日
聖書箇所:ピリピ2:24ー30
今日は教会への愛という事でお話します。
まず、パウロです。
2:24 わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している。
パウロが確信したのは、祈りの中でそれが主のみ心だとわかったからでしょう。彼は囚人でしたが、すぐには処刑されないと思っていたのです。私たちは未来を知る事はできません。主はご自身が未来を作っているので、すべてご存知です。ですから、将来のことを主に祈ることは大事です。明日はどうなるかわからないけど主にすべてをお任せしているます、という側面と主が許されるならばこうしたいとか、こうなってほしいという側面も必要です。パウロはそのバランスの中で生きていた人だと思います。
さて、パウロは実際にこの後釈放されて、ピリピに行ったと思われますが、それは簡単ではないという事です。パウロのこの時、50代後半から60代になっていたと考えられます。今と違い、栄養状態や薬が発達していないので、60歳とはおじいちゃんです。それに加えて、当時の旅行は徒歩と船でした。ローマ帝国のおかげで道路はできていましたが、徒歩で旅行するのは大変です。また、船は今のような豪華客船ではありません。風が吹けば揺れて、遭難する危険もありました。病気が蔓延したり、過酷な環境で死んでしまう人もいたでしょう。つまりは、「できれば行きたくない。もう年だから、わたしは旅行は辞めときます」という年齢です。しかし、パウロの教会への愛と情熱は桁外れだったことがわかります。
今日は教会への愛が強い人の話です。先週はテモテでした。彼も愛の人でした。そして、パウロです。パウロは何においてもすごい人でしたが、愛においてもすごい人でした。そして、今日はピリピ教会の青年リーダー、エパフロデトです。教会への愛を考える時に、大事なポイントはお互いをどのように見ているかです。パウロはエパフロデトをいくつかの視点で見ていました。それを今日は一緒に考えてみましょう。
2:25 しかし、さしあたり、わたしの同労者で戦友である兄弟、また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなたがたのもとに送り返すことが必要だと思っている。
まず、エパフロデトは、主のために共に働く同労者でした。日本語では労苦を共にするという意味も感じられる言葉です。
I. お互いが同労者
クリスチャンは福音を伝え、キリストの御国を建設するための同労者です。職場の関係とは、昔はプライベートを分かち合う関係でした。飲み会やパーティは社員がチームとなり、パフォーマンスを高めるためでした。上司とはそのチームを一つにして、仕事の効率をあげるための存在でした。最近は、個人主義が発達して、仕事以外のお付き合いはしないようになってきていると思います。ただ、会社側は社員の協力を強めるために、いろいろな努力をしています。一時リモートが流行りましたが、アマゾンはリモートを無くしました。個人がパソコンで繋がっているだけではパフォーマンスが上がらないからでしょう。
主はクリスチャンに集まることをやめてはいけないと命じています。
ヘブル 10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
教会もコロナ禍で一時インターネット礼拝を余儀なくされました。牧師だけが教会に来て、誰もいない教会堂で礼拝を導きました。しかし、どんなにIT技術が発達しても、実際に会って話す臨場感はありません。ユダヤの歴史を考えるとわかります。ユダヤ人は全世界に散らばったあとの1900年間、シナゴグで安息日を守ることで周囲の文化に同化されず、ユダヤ人のアイデンティティを守ることができました。クリスチャンもローカルチャーチに所属するようになっています。ローカルチャーチはローカル、つまり、近くにある教会です。特にカナダは、集合体のようなところなので、各民族の独自性が保たれています。そのような中で、日本語礼拝をする意義は大きいと思います。
II. お互いが戦友
戦争を経験したことがないので、戦友という概念はピンと来ません。ただ、敵がいる以上、戦友が存在するのです。つまり、味方です。前にもお話ししましたが、軍隊で一番怖いのは、フレンドリーファイアです。つまり、相手側からではなく、味方側から弾が飛んでくるのです。どさくさの中で、憎い味方を殺してしまうのです。それが悪魔の方法です。分裂させるのです。味方同士で戦わせるのです。牧師と役員会、教会員同士、言葉や行動で相手を批判させるのです。
ですから、教会は二つのことを知っていなければなりません。最初に、本当の敵をしっかりと知ることです。敵は嘘の天才、誘惑の天才です。私たちの心に嘘を入れ、それを真実と思わせるのです。ちょっとした疑問や不信感を怒りと憎しみに変えて、互いに戦うようにさせるのです。
もう一つは、謙遜こそがお互いの平和を守るということです。謙遜とは自分を低くする事ですから、プライドがありません。プライドを自尊心と勘違いしている人がいますが、自尊心は自分の存在が尊いと思うことであり、プライドは自分を必要以上に高めようとすることです。プライドが高い人は傷つきます。周囲が自分を高めてくれないからです。逆に、プライドがない人は自分を高める必要がないので傷つきません。全宇宙を支配している神がわたしを愛し、子どもとしてくださっているならば、その事実だけで最高の存在という事になります。王の子どもたちが、わたしはみじめだと思うならば、みじめでない人は存在しません。人を評価するのは他人ではなく、神であることを知るならば、自分を高める努力は必要なくなるのです。
いずれにしても、私たちは本当の敵と戦わなければなりません。敵に対しての一番効果的な戦いは、真理を深く知る事です。敵は嘘で攻撃するのですから、嘘に勝つには真理を知っていれば良いのです。私たちの武器は、聖書とそれを正しく教える聖霊の働きなのです。パウロは別の書簡で、このように書いています。これらはみな正しい聖書理解のことです。
エペソ6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
教会を愛することは、そこにいる人たちを愛することです。ここで、パウロはエパフロデトの教会への愛を「慕い求める」と書いています。
III. お互いが慕い求める
26 彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。
「慕い求める」とは、深い愛があるからこその感情です。一緒にいる時はそれほどではなくても、離れると会いたいという気持ちになるのは愛情があるからです。神が私たちを子どもとして受け入れてくださったのであれば、私たちは神の家族において兄弟姉妹です。
カナダは家族をとても大切にする文化があります。ですから、神の家族という聖書の言葉を実践しやすいと思います。
兄弟姉妹関係は親子関係ほど親密にならないかもしれません。お互いにねたんだり、嫉妬したり、喧嘩したりを繰り返す関係で終わってしまうことがあるかもしれません。しかし、神が家族というシステムを作り、兄弟姉妹のシステムを作ったのは意味があります。普通は、幼少期に一緒に10年以上過ごします。幼い頃の時代を共有できることは、大人になって出会った結婚以上に親密感を持つことにつながるわけです。
教会生活も同様です。小さい頃から一緒に教会生活をしているとそれだけ親密な関係を持つことができます。エパフロデトが何歳くらいから教会に加わったのかはわかりません。しかし、彼が青年リーダーであったことから、小さい頃からピリピ教会に所属していた可能性は大きいと思います。彼はピリピ教会の分裂の危機を心から心配し、教会の宣教献金を携えてパウロのもとに来たのです。彼の教会への愛は強く、病気になってもひるむことなく、自分の使命を果たそうとしました。
27 ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。
最初に話したように、今と違って当時の旅行は大変でした。飛行機の待ち時間が長く、座席が狭いという苦難と比較になりません。船旅は天候にかかっていたので慣れない人には大変でした。この旅でエパフロデトは若いながらも死にそうになってしまったのです。多分、旅の途中で悪い病気にかかったのでしょう。免疫がない状態でコロナにかかったようなものかもしれません。旅のどの辺で病気になったかはわかりませんが、彼は何とかパウロのもとにたどり着いたのです。なぜ、パウロは癒しの力を使わなかったのかと思いますが、この時期にすでに教会から癒しの奇跡が減ってきたことを示しています。エパフロデトの教会への愛は強く、使徒パウロの心を動かしました。その愛は、パウロにピリピ人への手紙を書かせ、テモテを派遣させ、自分自身も行かなくてはという思いを与えたのでした。
2:28 そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。
ピリピ教会がその時代にエパフロデトのことをどのように知る事ができたのかはわかりません。しかし、風の噂でピリピ教会がエパフロデトの病気が伝わらないように、パウロはすぐにピリピ人への手紙を書き、彼をピリピに行かせようとしたのです。
2:29 こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こうした人々は尊重せねばならない。
エパフロデトは年は若かったでしょうが、考え方や愛や献身度において優れていました。教会では長老という言葉を使いますが、年をとっているから長老ではありません。経験は大事で、良い決断には知識と経験がより多い方が安心です。しかし、教会は年功序列ではなく、賜物と献身度で測られる共同体です。教会が強くなるためには、その教会を愛し、キリストのために自分を捧げる献身度の高い人たちがいなければならないのです。
2:30 彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。
文字通り、ピリピ教会のために命をかけた青年エパフロデトは、ピリピ教会の実質的なリーダーでした。彼のような人がいる教会は幸いです。牧師は良い信徒を求め、信徒は良い牧師を求めます。教会には両方が必要です。
いずれにしても、愛の共同体は他人の痛みが自分の痛みになり、他人の喜びがまた自分の喜びになる共同体です。エパフロデトは自分の病気の心配をしないようにとピリピ教会を気遣っています。実際に彼は、パウロとピリピ教会のために命を捧げるほどでした。それはまた、彼がキリストのために命をかけることでもありました。教会を愛することはキリストを愛することであり、教会を助けることはキリストを助けることでもあるのです。
愛は行動を生み出します。主は言われました。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」これは知識や概念ではなくて、実践です。
冬になり、covidとインフルエンザ予防接種が始まりました。これらには感染しないように防がなければなりません。しかし、良い感染もあります。愛も感染します。初代教会は愛を感染させていきました。最初に主イエス、そして、使徒たち、そして、使徒たちの教えを受けた教会です。しかし、各自がキリストの愛を受けることができます。聖霊はイエスの愛を私たちの心に満たしてくださいます。「私たちがまだ罪人の時、キリストを無視し、馬鹿にし、罪に開き直っていた時に、主イエスは十字架にかかってくださった。そして、私たちの愚かな歩みにかかわらず、今も愛し続けてくださっている」と。
祈りましょう。
Love for the Church
November 3, 2024
Scripture: Philippians 2:24–30
Today, I will speak about love for the church. First, let’s look at Paul.
2:24 “And I am confident in the Lord that I myself will come soon.”
Paul was confident because, through prayer, he discerned that it was the Lord’s will. Though he was a prisoner, he believed he wouldn’t be executed immediately. We cannot know the future, but the Lord knows it completely because He creates it. Therefore, it is important to pray about our future. We don’t know what tomorrow will bring, so we need to leave everything to the Lord. At the same time, it’s good to have desires or hopes for the future, as long as they align with the Lord’s will. Paul lived in this balance.
Now, Paul was eventually released and probably did visit Philippi, but this was no small feat. Paul was likely in his late 50s or early 60s at the time. Unlike today, when nutrition and medicine are more advanced, reaching the age of 60 meant being elderly. Travel at that time was mainly by foot and ship. Though there were roads thanks to the Roman Empire, traveling on foot was challenging, and ships weren’t luxurious; they rocked with the wind and posed risks of shipwreck. Sickness was common, and many perished in harsh conditions. For someone of Paul’s age, it would have been reasonable to say, “If possible, I’d rather not go. I’m too old for travel.” Yet, Paul’s love and passion for the church were extraordinary.
Today, I am speaking about someone with a great love for the church. Last week, we discussed Timothy, a man of love, and today we focus on Paul. Paul was remarkable in every aspect, including love. And today, we will look at Epaphroditus, a young leader in the Philippian church. When we think about love for the church, an important point is how we view each other. Paul saw Epaphroditus from several perspectives, which we will consider today.
2:25 “But I think it is necessary to send back to you Epaphroditus, my brother, coworker and fellow soldier, who is also your messenger, whom you sent to take care of my needs.”
First, Epaphroditus was a coworker for the Lord. In Japanese, the word “coworker” conveys a sense of laboring together.
I. We are Fellow Workers
Christians are coworkers called to spread the gospel and build the kingdom of Christ. In the past, workplace relationships involved sharing personal lives, with gatherings aimed at boosting team performance. Today, individualism is more common, with less interaction outside work, though companies still try to foster cooperation among employees. Amazon, for example, ended remote work because virtual connections alone don’t boost performance.
The Lord commands Christians not to give up meeting together.
Hebrews 10:25 “Not giving up meeting together, as some are in the habit of doing, but encouraging one another—and all the more as you see the Day approaching.”
During the pandemic, churches also had to hold services online, with pastors leading services in empty sanctuaries. Despite advanced IT, nothing replaces in-person fellowship. The Jewish people maintained their identity through Sabbath gatherings in synagogues even during 1,900 years of diaspora. Similarly, Christians are called to belong to a local church. Especially in Canada, a mosaic of cultures, a Japanese worship service holds significant meaning.
II. We are Fellow Soldiers
Though we may not fully understand the concept of fellow soldiers without experiencing war, the existence of an enemy implies the need for comrades—in other words, allies. The worst danger in the military is often “friendly fire,” where people mistakenly harm their own allies. This division is a strategy of the devil, who causes division and pits people against each other.
The church must understand two key points: first, recognize the true enemy, who is a master of lies and temptation, sowing doubt and anger among believers. Second, humility is essential to maintain peace. True humility, free of pride, is about valuing ourselves without elevating ourselves. Those who lack pride are not easily hurt, as they do not need others’ validation.
In any case, we must fight against the true enemy, armed with truth. Our weapon is the Bible, guided by the Holy Spirit.
Ephesians 6:14-15 “Stand firm then, with the belt of truth buckled around your waist, with the breastplate of righteousness in place, and with your feet fitted with the readiness that comes from the gospel of peace.”
To love the church means to love the people in it. Paul describes Epaphroditus’s love for the church as “longing for” the Philippians.
III. We Long for One Another
2:26 “For he longs for all of you and is distressed because you heard he was ill.”
This longing is born from deep love. When we are together, we may not feel it, but separation brings a desire to see one another. Since God has accepted us as His children, we are brothers and sisters in God’s family.
In Canada, family bonds are highly valued, making it easier to live out the biblical concept of a family of God. Church life is similar; growing up in a church fosters close relationships. Though we don’t know when Epaphroditus joined the Philippian church, it’s likely he was part of it from a young age, as he served as a youth leader.
2:27 “Indeed, he was ill and almost died. But God had mercy on him, and not on him only but also on me, to spare me sorrow upon sorrow.”
Travel in those days was challenging, especially compared to our modern flights. During his journey, Epaphroditus likely contracted a severe illness. Despite this, he completed his mission out of his love for the Philippian church.
2:28 “Therefore I am all the more eager to send him, so that when you see him again you may be glad and I may have less anxiety.”
Paul hurried to send Epaphroditus back, to relieve the Philippians’ concerns about his illness.
2:29 “Welcome him in the Lord with great joy, and honor men like him.”
Epaphroditus was young but exemplary in love and devotion. Churches need people who love their church deeply and dedicate themselves to Christ.
2:30 “because he almost died for the work of Christ, risking his life to make up for the help you could not give me.”
Epaphroditus was essentially the Philippian church’s leader, risking his life for them. A church with such members is blessed. Both pastors and believers seek strong relationships within the church.
A community of love is one where each person feels others’ pains as their own, and their joys as shared blessings. Epaphroditus cared deeply for the Philippians and dedicated his life to Paul and the church. Loving the church is loving Christ, and helping the church is helping Christ.
Love leads to action. The Lord said, “Love your neighbor as yourself.” This is not just knowledge or a concept; it is to be practiced.
As winter approaches, COVID and flu vaccinations have begun, and we need to protect ourselves from these infections. However, there is also such a thing as a "good infection." Love is infectious. The early church spread this love. It started with the Lord Jesus, then the apostles, then the church that received the apostles’ teaching, and from there, it passed on to the next generation. We, too, must be a church where Christ’s love spreads. While we were still sinners—ignoring Christ, mocking Him, and indulging in our sin—the Lord Jesus went to the cross for us. Despite our foolish paths, He continues to love us even now.
Let us pray.