福音にふさわしい生活を

福音にふさわしい生活を
2024年9月29日
聖書箇所:ピリピ1:27-30 
 復習:天国に早く行きたいと思うことはありますけれども、しかし、今のままでいくよりももっと多く神の働きをしてから凱旋したいと思うのではないでしょうか。少なくても、今祈っている人たちを救いにしっかりと導いてから、天国に行きたいと思っている方もいるでしょう。神様の定められた時になれば、すべてを捨てて天国に行かなければならないのですから、今はこの環境において与えられたことをしっかりとしましょう、ということを先日述べました。今日はそのためには今の時をどのように生きるかをもう少し考えて見ましょう。
 27節には、「福音にふさわしい生活をしなさい」と書かれています。まず、福音とは何でしょうか。それはどのようなものでしょうか。福音とは、goodnewsですが、goodnewsを聞くためにはまず、badnewsを聞かなければなりません。badnewsとは私たちは罪人であることです。私たちは神の前に罪を継続的に犯す罪人であり、神の前に裁かれるべき存在であるということです。私たちの思いと言葉、行動は神に敵対し、悪魔に同意しているのです。私たちは過去もそうですが、今もなお罪を犯し続けている存在です。パウロでさえも、自分のことを罪人の頭であるといいました。しかし、神はその私たちの罪すべてを御子キリストの上におき、キリストを私たちの代わりに罰せられたことで、私たちを赦してくださるのです。
 ですから、福音とは私たちの思いや行動とは別に、神の一方的な恵みで「義人として受け入れて下さる」事です。これはどれほど感謝なことでしょうか。私たちがこの地上で得るどんなプレゼントよりも、神はもっと素晴らしい永遠の約束を私たちに与えてくださったのです。今日、あなたが神の前に罪人でなく、天国の市民となっていることを感謝しましょぅ。
 それでは福音にふさわしく生きましょうとは、どういうことでしょうか。英語ではこの箇所にworthyという言葉が使われています。Worthyとは価値という意味ですが、これはまた「ふさわしい」という事でもあるのです。つまり、この福音の価値を下げないようにすることが、福音にふさわしく生活することなのです。福音には神の偉大さと愛が溢れています。また、神が義のお方であることも溢れています。この神のすばらしさが私たちを通して現れるようにしなさい、と命じているのです。
 それではどのようにしたら、福音ふさわしく生活できるでしょうか。3つのポイントから考えてみましょう。

I. 心を一つにして
 一つとなるとは、教会が互いを愛し、受け入れることが前提です。
 人はなかなか一つとなることは難しいのです。それぞれ個性があり、いろいろな性格の人がいるからです。好き嫌いがあり、派閥を作るのが人間です。
 しかし、福音はあらゆる違いの壁を打ち砕いたのです。それは人種の壁、民族の壁、社会的地位や生まれの壁など、あらゆる壁を破りました。
エペソ書2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
 当時の教会はギリシヤ人とユダヤ人が共に礼拝していました。これは白人と黒人、アジア人が一緒に礼拝するよりも遥かに大きな壁と言えました。両者ともに相手に合わせることのない人たちでした。つまり、水と油のような存在でした。しかし、初代教会はイエスの教えに従うという点で一致していました。このみ言葉を実践したのです。聖霊がクリスチャンを一つの心とすることを信じ、行動したのです。教会で互いを兄弟姉妹と呼ぶのは、形式的ではないのです。それほどの親しさが求められているのです。
 ところで、戦争で一番怖いのは、敵からの攻撃ではなく、味方からの攻撃です。相手側から弾が飛んで来るのは当たり前です。前を向いて防御しています。しかし、前ではなく後ろから弾が飛んでくるのです。時には何の防御もなくひどい目に遭います。しかし、それは罪人だから仕方ないのです。常に人の心には憎しみ、ねたみ、憤りがあり、それがどんな人間関係も難しくしているのです。ですから、本来味方であるべき人を攻撃するのです。
 教会は攻撃しあうところではなく、愛し合い、仕え合う共同体です。兄弟姉妹を裁くところではなく、受け入れ、その信仰の励ますのです。
 教会は神の家族です。ただ、家族とは文化と背景によって理解が違います。教会は互いが繋がっているということです。それは同じお父さんを持っているからです。それぞれの違いを認め、賜物を認め、家族が一つとなるようにするのです。お父さんは家族のために旅行に行き、おいしいレストランに連れて行き、夏にはバーベキューコンロで肉を焼きます。何のためでしょうか。家族が一つとなるためです。家族の一人が苦難にある時に励まします。家族の一人に良いことが起こると自分のことのように喜びます。天の父も同様で、子どもたちが仲良く、一つの心になることを喜ぶのです。
次に、教会は福音のために戦うのです。
28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。

II. 一つとなって戦う
 当時は、あらゆる異端が教会を取り巻いていました。特に、律法主義を主張するユダヤ人たちが、教会に間違った教えを入れようとしていました。彼らはパウロの命を狙い、その宣教地に行っては、純粋な福音を捻じ曲げようとしていたのです。彼らはクリスチャンになるためには、まず、ユダヤ人にならなければならない、律法を守らなければ救われないと教えたのです。ですから、パウロたちは純粋な福音を守るために一生懸命戦ったのです。
また、悪魔は教会のリーダーたちが仲間割れをするように働きかけました。教会が仲間割れを起こせば、敵が入ってきて教会を乗っ取ることも起こります。ですから、パウロは教会が一つとなり、戦うようにと教えたのです。戦争でも、スポーツでもチームで戦うときは一つとなったチームが勝ちます。個人技や能力の差を越えて、チームが一丸となることは強いのです。
 教会は互いの違いを超えて、罪の性質を憎み、主の言葉に従う時に強いチームとなります。敵であるサタンに攻撃されても、よろめかない強いチームです。今、アメリカの大リーグは大谷選手の活躍で盛り上がっています。彼の願いはワールドシリーズで優勝することです。今年彼のチームであるドジャースが優勝できるかどうかは、大谷の頑張りではなく、チームが協力しあうかどうかにかかっています。個人プレイを捨てて、チームの勝利に集中することができれば、能力的には最強チームです。教会は神様が共にいる最強チームです。みなが神様をリーダーとして一致すれば、悪魔や悪霊は逃げ去ります。
 敵を間違えてはいけません。敵は人ではなく、その背後で悪い思いを入れてその人を利用している霊的な存在です。
1ペテロ5:88 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 悪魔は神の敵であるので、私たちの敵です。彼は、社会、文化、人を通して神の国を攻撃しているのです。クリスチャンであれば聖書を通して神の願うことを知る事ができます。しかし、ノンクリスチャンは聖書を読みませんし、聖書に従いません。ゆえに、悪魔の働きを見分けることができないのです。
 あるクリスチャンは、悪魔は主イエスに負けたからもう力がないと言います。確かに彼はイエスの十字架で完全な神の敵となりました。後は、裁きが残されているだけです。もちろん、最初から彼の行動は神の制御の下にあります。しかし、彼は以前よりももっと激しく世界を自分のものにしようと働いているのです。使徒たちやパウロの受けた迫害を考えて見てください。
 教会は歴史的に、国家的な迫害、異端の攻撃、民衆からの憎しみにさらされてきました。日本では今もクリスチャンというだけに憎まれる地域もあります。また、世界では多くの兄弟姉妹たちが迫害されています。
 悪魔はまた個人的にも攻撃してきます。最初は誘惑します。それがだめなら迫害させます。それでもだめなら、殺します。もちろん、それらは神の許しがなければできません。しかし、神は天国という最大の恵みのために時にこの地上の命が短くなるのを許可します。今の教会は国家的な迫害の中にはいないかもしれませんが、その分、誘惑の力は大きいと思います。しかし、価値観が多様化する中で、キリストの言葉だけを真理をするという考え方は嫌われます。
 いずれにしても、肉体的な迫害がなければ霊的な戦いがあります。霊的な戦いとは、いかに自分に与えられている霊的な恵みを守るか、です。今の教会は「戦う」という視点が欠けています。しかし、防御は攻撃であることを忘れてはいけないのです。そして、この戦いは簡単ではありません。教会は力を合わせてこの悪魔の攻撃に立ち向かわなければならないのです。

III. キリストの代わりに苦しむ
 最後に、この敵から攻撃されること、時には予想以上の大きな苦しみを与えられることも覚悟するように聖書は教えています。
29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。

 キリストの代わりに苦しむことです。考えてください。使徒12名のうち、殉教しなかったのは、ヨハネだけです。そのヨハネを最後は囚人として過ごしました。ペテロもヤコブもパウロもみな、殉教しました。死ぬだけではなく、地上の生活においても結構大変な道を通りました。パウロはイエスを信じてからの人生をこう振り返っています。
2コリント11:24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
 クリスチャンになったら、幸福になれるのではないのですか。キリストは私たちが楽しい人生を送れるように、神様からの祝福をたくさん受けれるように十字架にかかってくださったのではないのですか。その通りです。しかし、神の与える幸福は、私たちの願っている幸福とは少し違います。私たちは環境が良くなることが祝福と思うのですが、神の祝福とは私たちが苦難の中で勝利することなのです。それはパウロの人生を見ればわかります。彼はいつも喜んでいました。自分がそう書いているのですから、そうでしょう。しかし、彼は環境を喜んでいたのではなく、キリストが共におられることを喜んでいたのです。
 悪魔のターゲットはキリストから、キリストを信じて従う者たちになりました。しかし、そのことはむしろ、私たちが救われているしるしなのです。悪魔が敵となっている事は私たちが神の側にいることを示しているからです。ですから、山上の垂訓にはこう書かれているのです。
 マタイ5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
 私とは、キリストです。キリストは前もって、彼に従う人たちが迫害と苦難を受けることを語っているのです。
 教会が霊的に良い時は、牧師や信徒が試練にある時でもあるのです。普通は、みんなが良い環境に居て、問題が起こらないので、教会が祝福されていると思いがちです。しかし、そうではないのです。苦難の時を通っている教会こそ、神が共におられるのです。悪魔も有限ですから、時間と場所を選びます。攻撃する必要のない教会は放っておきます。放っておいても神のために良い働きはしないからです。むしろ、福音にふさわしく生きていない人たちを通して、神の御名がけがされるので好都合なのです。しかし、教会が神を愛し、神に従うようになると悪魔の攻撃対象となるのです。
 主イエスはこう言いました。
ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
 「あなたがたは、世にあっては患難があります。」ある人たちには苦難が来ます、と言っているではありません。また、苦難が来る場合もあると言っているのではありません。主を信じる者たちみんなに苦難は来るのです。また、「苦難が来たら私は取り除いてあげるから心配いらない」とも言っていません。苦難が来たら、勇敢でありなさい、と命じているのです。ここで、世とは悪魔のことです。主イエスは悪魔に打ち勝ちましたから、主と共にいることが悪魔の攻撃の中で平安を持ち、勇敢でいることなのです。

福音にふさわしい生活とは、快適な環境で自分のできる範囲で清い生活をすることとは違います。むしろ、難しい環境の中でも主を信頼して生きることです。互いに愛し、真理の上に立ち、悪魔の攻撃の中にあっても主イエスを信頼して歩むのです。
 福音に生きる人は信仰によって生きています。信仰とは、難しい環境にいるからこそ発揮されるものなのです。目に目えることを信じることは誰でもできます。目に見えない世界を目に見えているごとく行動するのが信仰なのです。苦難は来ます。しかし、それに対して驚いたり、あわてたりする必要はないという事です。むしろ、苦難が全く来ないことが問題です。それは、悪魔が教会も牧師も信徒も放っておいても大丈夫だと判断しているからです。
 福音は良い知らせです。しかし、福音はただイエスを救い主として受け入れるだけではありません。イエスを主として受け入れる事です。イエスを人生の主とするならば、イエスのように生きるのです。イエスと同じ道を歩むのです。イエスは特に難しい時代に生きたわけではありません。福音は常に、悪魔の攻撃を受けながらも主イエスのように歩むクリスチャンによって前進してきました。信教の自由が守られているカナダのような場所でさえ、福音の価値観に反対する社会的・文化的圧力が高まっています。しかし、このような圧力に迎合するのではなく、信仰に堅く立つことがキリストの模範に従って生きることなのです。
 祈りましょう。

Live Worthy of the Gospel
Sep.29, 2024
Scripture Philippians 1:27-30

Review:
 There are times when we might long to go to heaven early, but wouldn’t we also want to do more of God’s work before triumphantly returning? Some may even want to lead those we are currently praying for to salvation before heading to heaven. Since the time God has appointed will come when we must leave everything behind to go to heaven, we should now fulfill what has been given to us in this environment. Today, let us consider how we should live in this present time.

In verse 27, it is written, "Live in a manner worthy of the gospel." First of all, what is the gospel? And what does it entail? The gospel is "good news," but to hear the good news, we must first hear the "bad news." The bad news is that we are sinners. We are sinners who continuously commit sins before God, deserving of judgment. Our thoughts, words, and actions oppose God and align with the devil. We have been sinners in the past and continue to sin even now. Even Paul called himself the chief of sinners. However, God forgives us by placing all of our sins on His Son, Christ, and punishing Christ in our place.

Therefore, the gospel is that, apart from our thoughts or actions, God, through His unilateral grace, accepts us as righteous. How grateful we should be for this! God has given us an eternal promise far greater than any gift we could receive on this earth. Today, let us give thanks that we are no longer sinners before God but citizens of heaven.

So what does it mean to live "worthy of the gospel"? In English, the word "worthy" is used in this verse. "Worthy" refers to value but also means "appropriate." In other words, living worthy of the gospel means living in a way that does not diminish the value of the gospel. The gospel overflows with God’s greatness and love, and it also reflects His righteousness. We are commanded to live so that this greatness of God is revealed through us.

How, then, can we live worthy of the gospel? Let’s consider three points. 


I.In One Spirit
“In one spirit” means that the church loves and accepts one another as a premise. It is difficult for people to become one because each person has unique personalities and characteristics. People have likes and dislikes, and it is in human nature to form factions. However, the gospel breaks down all walls of difference—walls of race, ethnicity, social status, or birth.

Ephesians 2:14:For He Himself is our peace, who has made the two one and has destroyed the barrier, the dividing wall of hostility.

In the early church, Greeks and Jews worshiped together. This was a much greater wall than, for example, whites, blacks, and Asians worshiping together today. They were people who did not compromise with each other, like water and oil. However, the early church was united in the teaching of Jesus. They practiced this Word and believed in the Holy Spirit, who made Christians of one heart. Calling each other "brother" and "sister" in the church is not just a formality.

In war, the most frightening thing is not the enemy’s attack but an attack from an ally. We expect bullets to come from the enemy and prepare defences accordingly. But when bullets come from behind, we can suffer severe harm without any defence. This is inevitable because we are all sinners. In every human heart lies hatred, jealousy, and anger, making any relationship difficult. That’s why people end up attacking those who should be their allies.

The church is not a place to attack each other, but a community to love and serve each other. It is not a place to judge brothers and sisters, but to accept them and encourage them in their faith.

The church is the family of God. However, family is understood differently in different cultures and backgrounds. The church is about being connected to each other. It is because we have the same Father. It recognizes their differences, acknowledges their gifts, and makes the family one. The father brings the family to travel, takes them to nice restaurants, and cooks meat on the barbecue stove in the summer. What is the purpose? To unify the family. He encourages them when one of them is going through a hard time. When something good happens to a family member, all family member rejoice as if it were our own. The same is true of our Heavenly Father, who rejoices when his children get along and are of one mind.

 Next, the church fights for the gospel.

Philippians 1:28 Without being frightened in any way by those who oppose you. This is a sign to them that they will be destroyed, but that you will be saved—and that by God.

II. Fight as One
 At that time, the church was surrounded by all kinds of heresies. In particular, Jews who advocated for legalism were trying to introduce false teachings into the church. They sought Paul's life and would go to the areas where he had preached in order to distort the pure gospel. They taught that in order to become a Christian, one must first become a Jew and that salvation required observing the law. Therefore, Paul and others fought hard to protect the pure gospel.

Moreover, the devil worked to cause division among the leaders of the church. When a church is divided, it opens the door for the enemy to come in and take over. That’s why Paul taught that the church must unite and stand strong. Whether in war or in sports, the team that wins is the one that comes together as one. When a team is united, it becomes strong, even surpassing individual skills and abilities.

The church becomes a strong team when it transcends individual differences, hates the nature of sin, and follows the word of the Lord. It is a team that will not falter, even when attacked by the enemy, Satan.

Currently, Major League Baseball in the U.S. is thriving thanks to the success of Shohei Ohtani. His dream is to win the World Series. Whether his team, the Dodgers, can win this year doesn't depend on Ohtani's efforts alone but on whether the team can work together. If they can set aside individual play and focus on the team's victory, they have the strongest team in terms of ability.

The church is the strongest team because God is with it. When everyone unites under God as their leader, Satan and the evil spirits will flee. We must not mistake who the enemy is. The enemy is not people, but the spiritual beings behind them, using them by planting evil thoughts.

1 Peter 5:8 says, “Be self-controlled and alert. Your enemy the devil prowls around like a roaring lion looking for someone to devour.”

The devil and evil spirits, as spiritual beings, are working through society, culture, and people. Some Christians say that since the devil was defeated by the Lord Jesus, he has no power. Indeed, he became a complete enemy of God through the cross of Jesus, and only judgment awaits him. Of course, his actions have always been under God's control. However, he is working even more fiercely now to make the world his own. Consider the persecution faced by the apostles and Paul.

Historically, the church has been subjected to national persecution, attacks from heresies, and hatred from the masses. In Japan, even today, there are regions where Christians are hated simply for being Christians. Likewise, many of our brothers and sisters around the world are being persecuted. The devil begins with temptation. If that doesn’t work, he turns to persecution. If that fails, he seeks to kill. Of course, none of this can happen without God's permission. But at times, God allows lives on this earth to be shortened for the sake of the greatest blessing—heaven. Although the church today may not be under national persecution, the power of temptation is great. Yet in a world of increasing diversity of values, the idea of holding only Christ’s words as truth is unpopular.

In any case, even if there is no physical persecution, there is spiritual warfare. The question is how to guard the spiritual blessings we have been given. The modern church lacks a perspective of "fighting." But we must remember that defence is the offence. And this battle will be challenging. The church must fight together for this demonic attack.

III. Suffer on Behalf of Christ
It is to suffer in place of Christ. Think about it: of the twelve apostles, only John did not die as a martyr. Even he spent his final days as a prisoner. Peter, James, Paul, and the others were all martyred. Not only did they face death, but they also walked a very difficult path during their lives on Earth. Paul reflected on his life after believing in Jesus like this:

2 Corinthians 11:24-27
"Five times I received from the Jews the forty lashes minus one.
Three times I was beaten with rods, once I was stoned, three times I was shipwrecked, I spent a night and a day in the open sea,
I have been constantly on the move. I have been in danger from rivers, in danger from bandits, in danger from my own countrymen, in danger from Gentiles; in danger in the city, in danger in the country, in danger at sea; and in danger from false brothers.
I have labored and toiled and have often gone without sleep; I have known hunger and thirst and have often gone without food; I have been cold and naked.”

Doesn’t becoming a Christian mean we will be happy? Didn’t Christ die on the cross so that we could live a joyful life and receive many blessings from God? Yes, that is true. However, the happiness that God gives is a little different from the happiness we desire. We often think that blessings mean an improvement in our circumstances, but God’s blessing is that we can have victory in the midst of suffering. We can see this from Paul’s life. He was always filled with joy. Since he wrote about it himself, we know it’s true. But he wasn’t rejoicing in his circumstances; he was rejoicing in the fact that Christ was with him.

The devil’s target has shifted from Christ to those who believe in and follow Christ. However, this is actually a sign that we are saved. The fact that the devil is our enemy shows that we are on God’s side. That is why it is written in the Sermon on the Mount:
Matthew 5:11"Blessed are you when people insult you, persecute you and falsely say all kinds of evil against you because of me.”

The "me" here refers to Christ. He foretold that those who follow Him would face persecution and hardship. When a church is spiritually thriving, it is also a time when pastors and believers may go through trials.

Normally, people assume that a church is blessed when everyone is comfortable and problems don’t arise, but that is not necessarily the case. A church passing through difficult times is often the one in which God is most present. The devil is finite, and therefore he chooses when and where to strike. Churches that pose no threat are left alone because they are not doing any meaningful work for God. In fact, those who do not live according to the Gospel can bring dishonor to God's name, which serves the enemy's purpose. But when a church loves and follows God, the devil does not remain silent.

Jesus said:
John 16:33"I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world, you will have trouble. But take heart! I have overcome the world.”

Jesus said, “You will have trouble.” He is not saying that trouble will come to some people. Troubles will come to all who believe in the Lord. Nor does He say, “When tribulation comes, I will take it away so you don't have to worry about it.” Rather, He is commanding us to be brave when the trouble comes. Here, the world means the devil. The Lord Jesus overcame the devil, so to be with Him is to have peace and be brave in the midst of the devil's attacks.

Living a life worthy of the Gospel is not about living an ethical life within the limits of our comfort. Rather, it is about trusting in the Lord and walking in faith, even in difficult circumstances. Loving one another, standing on the truth, and trusting in Jesus through the devil’s attacks is what it means to walk by faith.

Faith becomes evident, especially in hard times. Anyone can believe in what they can see, but faith is acting as if the unseen world is as real as what is visible. Trials will come, but there is no need to be surprised or alarmed. In fact, it is concerning if trials never come at all—this would suggest that the devil has deemed both the church and its members harmless.

The gospel is good news. But the gospel is not just about accepting Jesus as Savior. It is about accepting Jesus as Lord. If you make Jesus Lord of your life, you will live like Him. It is to walk the same path as Jesus. Jesus did not live in particularly difficult times. The gospel has always been advanced by Christians who walk like the Lord Jesus, despite the attacks of the devil. Even in places like Canada, where religious freedom is protected, there is growing social and cultural pressure against the values of the gospel. But instead of pandering to these pressures, standing firm in the faith is living according to the example of Christ.

Let’s pray.