パウロの祈り2

パウロの祈り2
聖書箇所:エペソ1:17ー19

 前回の復習から入りましょう。

 まず、祈りとは「自分の願いを神に叶えさせる」努力ではありません。
 自分のするべき事をしないで「祈れば何とかなる」とか、とか「祈れば神様のベストが行われて、祈らないとそうならない」等の考え方は違います。

 次に、祈りとは「神の計画を変えるため」ではなく「神の計画だから」祈ります。言い換えると、「問題が起こったから祈る」のではなく、「問題が神の計画通りに解決するように祈る」のです。両者は似ていますが、天と地ほどの差があります。前者の中心は人間です。後者の中心は神です。

 多くの人は「自分の願いが実現するように」と祈ります。しかし、祈りとは「神の計画の通りが成るように」なのです。これは「祈らないと良いことが起こらない」という不安を取り除きますが、同時に「神の計画通りになるのだったら、祈らなくても良い」という怠惰な信仰生活に導きます。しかし、聖徒たちは熱心に祈った人たちでした。

 「主の祈り」で教えられているように、クリスチャンは神の思いを悟り、神の思いが実現するようにと祈ります。言い換えれば、神の側に立っています。祈りを間違えている人は、神に願いを聞いてももらおうとして神に対立してしまうのです。

 人間は誰でも本質的に苦しい時に祈ります。それは神が創造されたからです。ですから、クリスチャンも苦しい時に、主なる神に祈ります。しかし、クリスチャンの祈りとノンクリスチャンの祈りの本質的な違いは、クリスチャンは「神のみ心がなるように」と祈るのです。
 
 父なる神様は私たちが祈るから愛してくださるのではなく、祈らなくても愛してくださっています。祈らないから物事が悪くなるのではなく、祈っても悪くなるのです!

 つまり、私たちは「み心だから祈り、み心を求めて祈り、み心が成るようにと祈る」のです。
 
 父の愛は変わる事なく、その計画は確かです。ですから、「祈らなければ良い事は起こらない」と恐怖感に縛られる事なく、天のお父さんを信頼して、祈るべきことをしっかりと祈りましょう。

 それでは、続けてパウロの祈りを見てみましょう。

 17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

 知恵と啓示とは、クリスチャンが正しい信仰生活をするために必要です。多くのクリスチャンは知るべきことを知らないのです。それゆえに、信仰生活が揺れ動いてしまうのです。
 
 まず、パウロは1章3節から14節まで、聖徒が受けている選び、救い、栄化の恵みについて教えています。
 
 続いてパウロは、16-19節までで祈っています。これは、神の恵みをしっかりと理解できるようにとの祈りなのです。

 18節で、パウロは、「心の目がはっきり見えるように」と祈っています。祈りとは「神のみ心が成るように」という事であると説明しました。つまり、パウロの祈りは3-14節と内容が信仰者に実現するようにと祈りなのです。心の目とは、本当の理解です。知識だけで終わることなく、それが日常生活で働いているのが本当の理解です。日本語には、「悟る」という便利な言葉があります。「悟ったら行動が変わる」という事です。
 
今日は、恵みが信仰者に実現するために必要な祈りを共に考えましょう。

I.神の召しによる希望を悟るように
 18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

 最初は「神の召しによる望み」です。これは4節に書かれています。救いは神による、という事です。救いとは、人間的な努力や頑張りによって救いのロープを握っているような状態ではありません。この世の宗教の特徴は、人間による努力です。努力できた者だけが救われるのです。そして、「私は救われている」という絶対的な確信を持つ事は不可能です。「頑張っているから救われている」という不安定な確信は、言い換えれば「頑張れない時は救いを失う」という事です。
 
 
エペソ1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。

 ここに「みこころによりご計画のままをみな行う方」とはっきりと書かれています。つまり、全能の神の計画が進行しているのです。私たちは神の計画のゆえに、救われたのです。そして、それを失う事はないのです。救いを確信する事で平安があります。感謝があります。そして、神への愛が生まれます。ですから、救いの確信は絶対に必要なのです。

 霊的な戦いは、この救いの確信を揺るがせようとする敵との戦いです。

エペソ6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 「救いのかぶと」とあります。かぶととは頭を守るためのものです。頭を攻撃されれば、正しい判断ができなくなってしまいます。この世には、無神論や異端などの様々の教えが蔓延しています。また、ノンクリスチャンの人たちと交流する中で「信じていることが間違っているかもしれない」と感じます。そして、罪を犯したり、悪い事が継続して起こったり、祈りが聞かれなかったと思う時には、自分が本当に救われているのかと不安になります。
 
 しかし、救いは神が為さることです。神が救うと決めたら救います。クリスチャンの友人に出会うこと、教会に集うこと、聖書のメッセージがわかること、賛美で感動することは偶然ではありません。聖霊が働いているのです。

 だからと言って、怠惰な信仰生活をしても良いということではありません。救われているから適当で良いということではなく、救われているからこそ熱心になるのです。
 
 日常でも同じです。愛されているから適当でいいや、とは思いません。愛されているから、その愛に応えようとするのです。信仰は義務ではなく、愛なのです。 

II. 聖徒の受け継ぐものの栄光を悟るように
 18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

 次の祈りは、聖徒、つまり、「義とされた罪人が天で受けるものの素晴らしさを悟ることができるように」です。兄弟姉妹の多くは、天国に関して漠然としたイメージしか持っていません。しかし、神は私たちが受けるべきものをしっかりと知って、それを期待するようにと願っているのです。パウロの人生はその証です。

 彼は教会を迫害すべき対象として思っていました。しかし、ダマスコに行く道中で、主イエスを見たのです。その体験は彼の人生を180度変えてしまいました。彼は人生の目的と目標を地上の喜びから、天国への期待に変えたのです。彼はその後、特別に「第三の天」と表現されている「天国」を体験しました(2コリント12:2-4)。この体験によって、彼はそれまで自分の幸福のために頑張ってきたものをすべて「ごみ」と呼ぶほどまでに至ったのです(ピリピ3:8)。神はパウロの証を通して、天国への期待を高めようとしておられるのです。私たちがこの世に未練を残しているとしたら、天国で用意されている栄光を悟れないゆえなのです。聖書は、パウロだけでなく、たくさんの人たちの証を書いています。それらは、ヘブル人への手紙11章に書かれています。彼らは、この世のつかの間の楽しみよりも天の約束を選んだ人たちです。その中にモーセがいます。

 モーセはエジプトの王子として、ロイヤルファミリーとして優雅に暮らす人生を選ぶこともできました。しかし、彼は神の民として生きることを選びました。

ヘブル11:25 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。

 その理由は、モーセが天での報いにしっかりと目を向けていたからです。

26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

 
III. 神の全能の力を悟るように
19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

 三番目は、神の全能の力、特に私たちの救いにおいて神は全能であることを悟る事です。この悟るも知識だけではなく、そう感じ、そう行動できるようになることです。

 最初に話したように、私たちは主の全能の力を使って、自分のために何かを実行するのではありません。主のみ心を行うのが私たちの使命であり、私たちの願いだからです。むしろ、主の全能の力を信じる時に、いつも私たちがつまづいてしまう二つのことを勝利するのです。

 一つは、主のみ心を行う力、主の言葉に聞き従う力がないと思ってしまうことです。聖書の命令は罪人にはできません。しかし、主を信じる者には聖霊の力があるのです。聖霊の力は私たちの内側に働くことで、私たちの意思を強め、必要なエネルギーを与えるのです。ここで、力と訳されているギリシヤ語はデュナミスと言います。ダイナマイトの語源になった言葉です。つまり、ものすごい破壊力、パワーなのです。そして、「働く」という言葉は、エネルギアです。これはエネルギーです。車はガソリンがなければ動きません。このガソリンは車を動かすのに充分なエネルギーを与えるのです。つまり、このダイナマイトのパワーが私たちの内側にはあり、それが必要に応じてエネルギーとなるのです。
 クリスチャンに謙遜は「いえ、私なんかつまらないものですから、できません。」という事ではありません。それは謙遜ではなく、怠惰です。本当の謙遜は、「私は罪人ですが、主が命じれるならばします。」です。

 もう一つは、試練です。試練、苦難、痛みは辛いです。私たちは肉を持っているからです。肉は弱いのです。しかし、ダイナマイトとエネルギーは内側から私たちに忍耐の力を与えるのです。

 さて、問題はその力があることに気づいていない事であり、また、使おうとしない事です。力のために祈る必要はありません。パウロの祈りは「あなたがたが知るように」だからです。つまり、悟れるようにとの意味です。

 敵は、「あなたは弱い、あなたには力がない、あなたは昔もできなかったじゃないか」と嘘を信じ込ませようとしているのです。確かに、私たちは弱いでしょう。力もないでしょう。しかし、うちにおられる聖霊は全能です。

 私もそうですが、みなさんも落ち込む時があるでしょう。クリスチャンにとっては、正しい落ち込みと間違った落ち込みがあります。
 
 まず、正しい落ち込みは、私が自分勝手だったり、罪の誘惑に負けてしまった時です。その時は少し落ち込み、反省し、主の赦しを受けて再び立ち上がれば良いのです。間違った落ち込みは、自分を嘆くことです。私はダメだと思う事です。そのような落ち込みは必要なく、時間の無駄です。私たちは小さな者です。しかし、主は私たちを用いようとしているのです。私のもっている者を差し出せば、主はそれを使って主の偉大な働きをするのです。自分を他人と比較することも意味がありません。主は一人一人に違う働きを与えられているからです。

 私の好きな聖句があります。

ピリピ 4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

 パウロはこの節の前に、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と言っています。これが聖霊の力です。そして、その力が私たちのうちにもあることを悟りましょう。

 目が開かれると言うことは、日常生活が変わることです。日本語でいうところの「悟る」ことです。信仰生活が安定し、感謝と喜びがあるために、聖書のメッセージを悟りましょう。

 弟子たちは、主イエスが共にいるのに嵐で船が沈みそうになった時に恐れました。自分の力でどうしようもならなくなった時にパニックしてはいけません。私たちにはできないことでも、うちにおられるお方には可能なのです。神の全能の力は、私たちを救い、聖化し、天国に入れるのです。それを思い、安心しましょう。

 祈りましょう。
父なる神様、あなたの計画が素晴らしいことを感謝します。あなたは全能であり、私たちを一方的な恵みで救ってくださいました。また、今の世だけではなく、来るべき世でも素晴らしい恵みを与えてくださるお方なので、感謝します。今の時と世界の状況を見る時に、私たちは心配し、恐れます。しかし、あなたの計画がしっかりと行われていますことを信頼できるように助けてください。また、私たちがもっとあなたのことやあなたの願うことを理解できるように助けてください。そして、日々の生活が安定し、安心するように導いてください。あなたを信頼し、何が起こっても、あなたから離れないように心を守ってください。

Paul's Prayer II

Let's begin with a review of the previous message.

 First of all, prayer is not an effort to "make God grant your wish.
 There is a difference between "if I pray, it will work out" without doing what I should do, or "if I pray, God's best will be done, and if I don't pray, it won't be" etc.

 Second, prayer is not "to change God's plan" but "because it is God's plan. In other words, we do not "pray because a problem has occurred," but rather "pray that the problem will be resolved according to God's plan.” The two are similar, but there is a difference between heaven and earth. The center of the former is man. The center of the latter is God.

 Many people pray "for their wishes to be fulfilled.” But prayer is "for God's plan to come to pass.” This removes the anxiety that "if I don't pray, good things won't happen," but at the same time leads to a lazy life of faith, saying, "If God's plan is going to happen, then I don't need to pray.” The saints, however, were people who prayed fervently.

 As taught in "The Lord's Prayer," Christians realize God's thoughts and pray for them to come true. In other words, they stand on God's side. Those who pray the wrong prayer end up confronting God in an attempt to get Him to even listen to their wishes.

 Every human being prays in times of inherent suffering. That is because God created them. Therefore, Christians also pray to the Lord God in times of distress. However, the essential difference between a Christian's prayer and a non-Christian's prayer is that a Christian prays, "God's will be done.”
 
 God the Father does not love us because we pray, but He loves us even if we do not pray. Things do not get worse because we do not pray, but because we pray!

 In other words, we pray because it is His will, we pray to seek His will, and we pray for His will to be done.
 
 The Father's love never changes, and His plan is certain. Therefore, let us not be bound by the fear that if we don't pray, nothing good will come to us, but let us trust in our Heavenly Father and pray for what we need to pray for.

 Now let us continue and look at Paul's prayer.

 17 I keep asking that the God of our Lord Jesus Christ, the glorious Father, may give you the Spirit of wisdom and revelation, so that you may know him better.
 Wisdom and revelation are necessary for Christians to live a righteous life of faith. Many Christians do not know what they need to know. Therefore, their life of faith is shaken.
 
 First, Paul teaches about the grace of election, salvation, and glorification that the saints have received in 1:3-14.
 
 Then Paul prays in verses 16-19. This is a prayer for a firm understanding of God's grace.

 In verse 18, Paul prays that "the eyes of your heart may see clearly. I explained that prayer is "that the will of God may be done.” In other words, Paul's prayer is for the believer to realize the content of verses 3-14. The eyes of the heart are true understanding. It is true understanding that does not end with knowledge alone, but is worked out in daily life. There is a useful word in Japanese, "satoru," which means "to realize. It means,” "When you realize, your behavior changes."
 
Today, let us consider together the prayers necessary for grace to be realized in the believer.

I. That you may realize the hope that God has called you to.
 
18 I pray also that the eyes of your heart may be enlightened in order that you may know the hope to which he has called you, the riches of his glorious inheritance in the saints,

 The first is "the hope to which he has called you, the riches of his glorious inheritance in the saints. This is stated in verse 4. Salvation is by God. Salvation is not a state in which we hold the rope of salvation by human effort and hard work. The hallmark of the religions of this world is human effort. Only those who have made the effort will be saved. And it is impossible to have absolute certainty that I am saved. The unstable certainty of "I am saved because I work hard" means, in other words, "When you don't work hard, you lose your salvation.”
 
 
Ephesians 1:11 In him we were also chosen, having been predestined according to the plan of him who works out everything in conformity with the purpose of his will,

 In Him we were also chosen, having been predestined according to the plan of Him who works out everything in conformity with the purpose of his will, it is clearly written. In other words, the plan of Almighty God is in progress. We are saved because of God's plan. And we cannot lose it. There is peace in the assurance of salvation. There is gratitude. And love for God is born. Therefore, certainty of salvation is absolutely necessary.

 Spiritual warfare is a battle against the enemy who tries to shake this assurance of salvation.

Ephesians 6:17 Take the helmet of salvation and the sword of the Spirit, which is the word of God.

 The word is "helmet of salvation.” The helmet is to protect the head. If your head is attacked, you will not be able to make good decisions. In this world, various teachings such as atheism and heresy are prevalent. Also, as we interact with non-Christians, we feel that what we believe may be wrong. And when I sin, or bad things happen continuously, or when I think my prayers have not been heard, I wonder if I am really saved.
 
 But salvation is God's work. If God decides to save you, you will be saved. It is no coincidence that we meet Christian friends, that we gather at church, that we understand the message of the Bible, or that we are moved by praise. The Holy Spirit is at work.

 That does not mean that it is okay to live a lazy life of faith. It does not mean it is okay to live a mediocre life because we are saved, but we should be diligent because we are saved.
 
 It is the same in our daily lives. We don't think that because we are loved, it is okay to be lazy. Because we are loved, we try to respond to that love. Faith is not an obligation, but love. 

II. that you may realize the glory of the inheritance of the saints

18 I pray also that the eyes of your heart may be enlightened in order that you may know the hope to which he has called you, the riches of his glorious inheritance in the saints, the richness of his glorious inheritance.

 The next prayer is for the saints, that the righteous sinner may realize the excellencies of what he will receive in heaven. Many of our brothers and sisters have only a vague idea of heaven. But God wants us to know exactly what we are to receive and to expect it. Paul's life is a testimony to this.

 He thought of the church as an object to be persecuted. But on the road to Damascus, he saw the Lord Jesus. That experience changed his life 180 degrees. He changed his purpose and goal in life from earthly pleasures to the expectation of heaven. He then experienced "heaven," specially described as the "third heaven" (2 Corinthians 12:2-4). This experience brought him to the point where he called everything he had worked so hard for his well-being "garbage" (Philippians 3:8). Through Paul's testimony, God is trying to raise our expectations of heaven. If we are still in this world, it is because we do not realize the glory that is prepared for us in Heaven. The Bible contains the testimonies of many people, not only Paul. They are found in Hebrews 11. They are those who chose the promises of heaven over the fleeting pleasures of this world. Among them is Moses.

 Moses could have chosen a life of elegance as a prince of Egypt, living as a royal family. But he chose to live as God's people.

He chose to suffer with God's people rather than to enjoy the pleasures of transgression.

Hebrews11:25 He chose to be mistreated along with the people of God rather than to enjoy the pleasures of sin for a short time.

 The reason for this is that Moses had his eyes firmly fixed on his reward in heaven.

26 He regarded disgrace for the sake of Christ as of greater value than the treasures of Egypt, because he was looking ahead to his reward.

III. that you may realize the almighty power of God

19 and his incomparably great power for us who believe. that power is like the working of his mighty strength.

 Third, to realize God's omnipotent power, especially in our salvation. This realization is not only knowledge, but also the ability to feel and act so.

 As I said at the beginning, we are not to use His omnipotent power to do something for ourselves. It is our mission and our desire to do the Lord's will. Rather, when we trust in the Lord's almighty power, we triumph over two things that always trip us up. One is that we think we lack the power to do the Lord's will and to listen to and obey His word. The commands of the Bible cannot be done by sinners. But those who believe in the Lord have the power of the Holy Spirit. The power of the Holy Spirit works within us to strengthen our will and give us the energy we need.

Here we have the Greek word dunamis, which is translated as power. This word is the root of the word dynamite. In other words, it is a tremendous destructive force, power. The word for “work” is energia. This is energy. A car cannot run without gasoline. This gasoline gives the car enough energy to move. In other words, this dynamite power is inside of us, and it becomes energy when needed.

 Humility for the Christian does not mean, "No, I'm just a bore, I can't do it." It is not humility, that is laziness. True humility is "I am a sinner, but I will do what the Lord commands.”

 The other is trials. Trials, tribulations, and pain are painful. Because we have flesh. The flesh is weak. But dynamite and energy give us the power of endurance from within.

 Now, the problem is that we do not realize that we have that power, and we do not try to use it. We do not need to pray for power. Paul's prayer is "that you may know.” Paul's prayer is "that you may know," meaning that you may be enlightened.

 The enemy is trying to convince you with lies: you are weak, you have no power, and you could not have done it in the past. Sure, we are weak. We may not have the strength. But the Holy Spirit in us is omnipotent.

 Like me, you may feel down at times. For Christians, there is a right kind of depression and a wrong kind of depression.
 
 First, the right kind of depression is when I am selfish or tempted to sin. At that time, I should feel a little down, reflect on it, and rise again to receive the Lord's forgiveness. Wrong depression is to lament myself. It is to think that I am no good. Such depression is unnecessary and a waste of time. We are small. But the Lord wants to use us. I offer what I have and He will use it to do His great work. It makes no sense to compare ourselves with others. The Lord gives each of us a different work to do.

 I have a favorite scripture.

Philippians 4:13 I can do everything through Him who gives me strength.

 Paul prefaces this verse by saying, "I know the secret of dealing with all circumstances." This is the truth. And you will realize it.

 To have your eyes opened is to have your daily life changed. It is what we call “satori" in Japanese. Let us realize the message of the Bible so that our life of faith will be stable, and we will be thankful and joyful.

 The disciples were afraid when their ship was about to sink in a storm even though the Lord Jesus was with them. We should not panic when we can no longer help ourselves. God's almighty power can save us, sanctify us, and get us into heaven. Let us be reassured by that thought.

 Let us pray.
 Father God, we thank you that your plan is wonderful. You are almighty and have saved us by Your unilateral grace. We also thank You because You are the One who gives us wonderful grace not only in this world but also in the world to come. When we look at the present time and the state of the world, we worry and fear. But help us to trust that Your plans are firmly in place. Also, help us to understand you and what you desire more. And please guide us so that our daily lives will be stable and secure. Guard our hearts so that we can trust You and not be separated from You, no matter what happens.