パウロの祈り1


2024年5月12日
聖書箇所:エペソ人への手紙1:15ー16
15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、
16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

 祈りのシリーズをしています。最初に「間違った祈り」、次に「主の祈り」を二回にわけて説明しました。それで、今日からは具体的にどのように祈るのかを考えてみたいと思います。それで、パウロの祈りを見本にしたいと思います。
 
 まず、復習ですが、祈りは「自分の願いを神に叶えさせる」努力ではありません。この世の宗教は、神とは基本的に自分の必要のためです。ある団体の人たちは、自分のするべき事をしないで「祈れば何とかなる」と祈りですべてを解決しようとします。その人たちは、「祈らないと人生が悪くなる」と人々を恐怖で縛っています。一方、逆の考え方もあります。その人たちは全く祈りません。「神は愛だから、祈らなくてもいつも最善が行われる」と信じているのです。そのどちらも極端で間違いです。
 まず、私たちには2本の柱があります。一つの柱は、神様は主権を持っているということです。主権とは、神が全てのことを計画し、その通り行われているという意味です。もう一つの柱は、神は祈りを通してご自身の計画を実現されるということです。

 つまり、祈りとは「神の計画を変えるため」のではなく「神の計画のために」祈るのです。言い換えると、「問題が起こったから祈る」のではなく、「問題が神の計画通りに解決するように祈る」のです。

 良い例は、ダニエルの祈りです。ダニエルは一日3度祈った人です(ダニエル6:10)。彼は「神の計画」を聞いた後に、その計画を変えるようにとは願っていません(ダニエル9章)。

ダニエル9:1 メディヤ族のアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤ人の国の王となったその元年、2 すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。
3 そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願い求めた。
 彼は、神の計画がイスラエルの上に実現するようにと、祈っているのです。4節から18節まで、ダニエルはイスラエルの罪を告白します。そして、最後にみ心がなるようにと求めるのです。

19 主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」

 彼は70年を縮めてくださいとは祈りませんでした。彼は70年後に再びイスラエルの民をあわれんでくださいと祈っているのです。

 クリスチャンの祈りは、神の思いを変えようとしたり、自分のお心を神に実現させようとするのではないのです。「主の祈り」で教えられているように、私たちの祈りは神の思いを悟り、神の思いが実現するようにと祈るのです。

 言い換えれば、神の側に立っているのです。祈りを間違えている人は、神に願いを聞いてもらおうとして神と対立してしまうのです。多くの兄弟姉妹が、神を「願いを聞いてくれる仏」のように考えて、問題や病気や子どもの成功のために祈り、それが叶わないと失望して神から離れてしまうのです。また、教会で「父なる神は私を愛している」と聞きながら、「自分の切なる願いを聞いてくださらない冷たいお方」という現実の中で信仰の土台が揺らいでしまっているのです。人間は誰でも本質的に苦しい時に祈ります。それは神が創造されたからです。クリスチャンが苦しい時に、主に祈ることは間違っていません。しかし、クリスチャンの祈りとノンクリスチャンの本質的な違いは、私たちは「神のみ心がなるように」と祈るのです。

 また、父なる神様は私たちが祈るから愛してくださるのではなく、祈らなくても愛してくださっています。その愛は変わる事はありません。祈らないから物事が悪くなるのではなく、祈っても悪くなるのです!

 ですから、「み心だから祈り、み心を求めて祈り、み心が成るようにと祈る」のです。
 
 父の愛は変わる事なく、その計画は確かだからです。「祈らなければ良い事は起こらない」と恐怖感に縛られる事なく、天のお父さんを信頼して、祈るべきことをしっかりと祈れば良いのです。

I.感謝から始まる祈り
 さて、パウロのエペソ教会と小アジア地域への祈りを見てみましょう。
 
15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

 まず、彼の祈りは感謝から始まります。祈りは個々の願いから始まるのではありません。神様は、私たちに日々多くの恵みを与えてくださっているのです。それを思い出す時間が必要です。パウロの感謝は、まずエペソ教会の主イエスへの信仰です。彼はそれを「聞いて」いたのです。つまり、当時のエペソ教会はパウロが開拓して、そこに滞在していた時からすでに5年近くが経過しています。彼はエペソ教会と小アジア地域の教会のために日々祈っていたのです。彼が感謝しているのは、「昔に開拓した教会が存続している」という事ではありません。その教会が生きているという意味です。「主にコミットしている教会。熱心な礼拝、活発な伝道、新しい魂が加えられている」という事です。次に、この教会に愛があったからです。愛とは、まず主イエスへの愛、そして、隣人への愛です。隣人愛は主の命令ですから、エペソ教会はみ言葉の命令を守る、忠実な教会であったのです。

 信仰とは理解と行動です。本物の信仰は神の言葉である聖書に対する従順で表されるのです。知識だけで行いのない信仰は、救われていない信仰です。

ヤコブ2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。

 ですから、祈りは感謝から始めましょう。最初は思いつかなくても、習慣化していけばその日に受けたたくさんの恵みを悟れるようになります。

II.いつも、誰でも、どんなことでも
16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

 16節を読むと、ここに、「絶えず覚えて祈っています」とあります。
 私たちはいつ、誰のための祈るのかを考えます。そして、決められた祈りの時間に一定の人たちのために祈ります。それはそれで良いのです。しかし、人生とはいつも向かい風です。私たちの人生だけでなく、隣人の人生にも、常に問題が起こっています。この絶えずという言葉は、感謝と祈りの両方にかかっています。つまり、パウロはいつもエペソ教会のために感謝と願いを捧げていたということです。
 
 新約聖書には、パウロ書簡が13ありますが、その書簡すべては、パウロが各教会の問題を知って、祈り、そして、書いたものです。彼は生きている限り、日々教会のために祈り、信徒のために祈り、救われていない多くの人たちのために祈っていたのです。
 
 信徒に関しては、その人の信仰が弱らないように、また、間違った教えに影響されないように、また、悪魔の誘惑や罠に陥らないように、また、良い決断ができるように、そして、主のみ心の通りに歩むことができるように、と祈っていたのです。

 前にもお話ししましたが、祈りはクリスチャンのできる最大の奉仕です。祈りは人間の限界を越えるからです。確かに有能な人の数倍の良い働きをするかも知れません。しかし、所詮人間的なレベルを越えることはできません。メッセンジャーが素晴らしければ、多くの人を満足させるでしょう。賛美奉仕者の音楽レベルが高ければ、感動を与えるかもしれません。しかし、霊的な働きがなければ、つまり、祈りによってバックアップされていなければ、そこに集まる人たちを霊的に満たすことはできないのです。つまり、どんな働きも祈りがなければ、人間的なレベルを越えることはできません。主の偉大な力や栄光が現れることはありません。

 出エジプト17:8ー13を読みましょう。

 出エジプト17章でこの原則が書かれています。8節から読むと、イスラエルが荒野にいた時に、アマレク民族が襲ってきました。モーセはこの戦いには、主の力が必要だと分かり、ヨシュアをリーダーにして戦わせました。一方、モーセ自身はアロンとフルを連れて丘に登りました。それで、聖書はモーセの上がっている時は、イスラエルが優勢になり、モーセが手を下ろしてしまうと敵が優勢になったと書いています。それは、つまりは祈りの力を示しているのです。モーセが疲れてしまうとアロンとフルがモーセの手を支えました。太陽が沈むまでそれを続けた結果、イスラエルが勝利したのです。

 ヨシュアと武器を持つ者たちは、現場で戦いました。彼らも一生懸命です。しかし、勝敗を決めたのは、モーセたちの祈りなのです。
 
 私は老人となって体の機能が今よりも衰えてきたら、いよいよ最も大事な奉仕である祈りに時間を使いと思っています。日々、入ってくる情報のほとんどが祈りを必要としているのです。最近は、祈祷会で世界の問題も祈っています。神は世界を統治しておられます。人の罪の性質がはっきりと現れるために、時にはそのままに放って置かれます。しかし、神は本質的な平和の主です。愛の神です。あわれみのお方です。その神の最善がなされるように祈るのは、正しいことなのです。

 話は少しそれますが、三浦綾子さんは、「光あるうちに」という本の中で、罪についてこう書いています。「罪と感じ得ないことが最大の罪」であると。

 つまり、人には自分と他人を測る基準が二つあって、他人には厳しく、自分には甘い。
他人が失敗すると厳しく責めます。しかし、自分が同じ失敗をしても同じ厳しさで自分を責めることはありません。自分にはとても寛容なのです。この二重の測りこそが、罪の本質である「自分中心」だと言っています。

 多くの人は自分の罪を悟ることができません。しかし、聖霊の光が差し込む時、暗闇の中に真理が見えるのです。ですから、ノンクリスチャンのためにいつでも祈るのです。

 パウロは6章18節で、今日の箇所をもっと詳しく書いています。

 6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 御霊によって祈るとは、祈りとは聖霊の働きを受けるのです。

 ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

 私たちは霊的な世界と神様のみ心にうといのです。ですから、聖霊の導きと助けを受けなければ正しく祈ることができません。聖霊は、私たちが祈る時に働いて私たちの祈りを正しい方向に導いてくださるのです。

 また、「絶えず目を覚ましていて」とは、英語では、be alertです。悪魔は様々な方法によって祈らせないようにします。彼は、クリスチャンが祈ろうとすると別のことを考えさせたり、眠くさせたり、集中できなくさせるのです。主イエスがゲッセマネで祈っていた時、弟子たちは眠ってしまいました。夜眠る前に祈ろうとすると、不思議と眠くなることを経験するでしょう。ですから、祈祷会は大事です。みんなと一緒に祈ると眠くなったり、他のことを考える誘惑から守られます。

 そして、忍耐です。忍耐とは、結果が見えなくも祈り続けることです。主イエスはこう言いました。

 ルカ18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」

 この物語は、やもめの裁判をなかなかしてくれない不正な裁判官の例えですが、これを通して、主は言いました。

8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

 「速やかに」とありますが、それは短い時間のことではありません。一つのことを数年間祈り続けるのは、珍しいことではありません。特に、救いのためには長い時間を必要とします。

 色々な理由によって、祈りの答えには時間がかかります。しかし、神の計画は確実に実現していきます。神は私たちの祈りを聞いてくださっています。
 
 最後に、私たちには問題が大きく見えます。しかし、神よりも大きな問題はありません。神は子どもと一緒にそれらの問題に立ち向かってくださるお方です。祈りは神の側に立つことです。神と一緒に生きていくことです。神の愛を体験することなのです。

Paul's prayer I
May 12, 2024
Scripture: Ephesians 1:15-16

 We are doing a series of prayers. First, we went over "Wrong Prayers" and then "The Lord's Prayer" in two parts. So, from today, I would like to consider how to pray specifically. I would like to use Paul's prayer as a sample.
 
 First of all, as a recap, prayer is not an effort to "make God fulfill your wishes". Religion in this world is basically using God to meet one's own needs. People in some groups try to solve everything with prayer, saying "If you pray, it will work out" instead of doing what they should be doing. They bind people with fear, saying, "If you don't pray, your life will get worse.” On the other hand, there is the opposite approach. They don't pray at all. They believe that God is love and will always do what is best for them even if they don't pray. Both are extreme and wrong.

 We have two pillars. One pillar is that God is sovereign. Sovereignty means that God has everything planned and done accordingly. The other pillar is that God fulfills His plan through prayer.

 So, prayer is not "to change God's plan" but "for God's plan.” In other words, we do not pray because we have a problem; we pray so that the problem will be resolved according to God's will.

 A good example is Daniel's prayer. Daniel was a man who prayed three times a day (Daniel 6:10). He did not wish to hear "God's plan" and then change it (Daniel 9).

Daniel 9:1 In the first year of Darius son of Xerxes (a Mede by descent), who was made ruler over the Babylonian kingdom--
2 In the first year of his reign, I, Daniel, understood from the Scriptures, according to the word of the LORD given to Jeremiah the prophet, that the 2 in the first year of his reign, I, Daniel, understood from the Scriptures, according to the word of the LORD given to Jeremiah the prophet, that the desolation of Jerusalem would last seventy years.
3 So I turned to the Lord God and pleaded with him in prayer and petition, in fasting, and in sackcloth and ashes.

He is praying for God's plan to be realized upon Israel.

From verse 4 to 18, Daniel confesses Israel's sins. Finally, he asks that His will be done.

19 “O Lord, listen! O Lord, forgive! O Lord, hear and act! For your sake, O my God, do not delay, because your city and your people bear your Name."
 He did not pray that the 70 years be shortened. He is praying for mercy on the Israelites again after 70 years.

 Christian prayer is not about trying to change God's mind or make God do our will. As taught in the "Lord's Prayer," our prayer is to realize God's thoughts and to pray for His will to be done.

 In other words, we are standing on God's side. Those who pray the wrong prayer are at odds with God, trying to get God to hear their requests. Many brothers and sisters think of God as a "Buddha" who hears their wishes, praying for problems, illnesses, or the success of their children, and when they are not granted, they are disappointed and turn away from God. Also, they hear in church, "God the Father loves me," but their foundation of faith is shaken by the reality that He is a cold One who does not hear their earnest desires. Every human being prays in times of distress by nature. This is because God created them. It is not wrong for Christians to pray to the Lord in times of distress. However, the essential difference between Christian prayer and non-Christian prayer is that we pray, "God's will be done.”

 Also, God the Father does not love us because we pray, but He loves us even if we do not pray. That love never changes. Things do not get worse because we do not pray; they get worse even if we pray!

 Therefore, "we pray because it is His will, we pray for His will, and we pray that His will be done.
 
 The Father's love never changes, and His plan is certain. We should not be bound by the fear that if we don't pray, nothing good will come to us, but trust in our Heavenly Father and pray for what we need to pray for.

I. Prayer that begins with thanksgiving
 Now let us look at Paul's prayer for the church in Ephesus and the region of Asia Minor.

15 For this reason, ever since I heard about your faith in the Lord Jesus and your love for all the saints, 16 I have not stopped giving thanks for you, remembering you in my prayers.
 
 First, his prayer begins with thanksgiving. Prayer does not begin with individual petitions. God gives us many blessings every day. We need time to remember that. Paul's gratitude begins with the faith of the Ephesian church in the Lord Jesus. He had "heard" it. In other words, the Ephesian church at that time had already been settled by Paul and it had been almost 5 years since his stay there. He was praying daily for the Ephesian church and the churches in the Asia Minor area. What he is thankful for is not that "the church he pioneered long ago is surviving. It means that the church is committed to the Lord, with fervent worship, active evangelism, and new souls being added. Second, there was love in this church. Love is, first of all, love for the Lord Jesus, and then love for one's neighbor. Since love of neighbor is the Lord's command, the Ephesian church was a faithful church that kept the commands of the Word.

 Faith is understanding and action (James 2:17, 20). Genuine faith is expressed in obedience to the Word of God, the Bible. Faith that is only knowledge and not action is unsaved faith.

James 2:19 You believe that there is one God. Good! Even the demons believe that--and shudder. 20 You foolish man, do you want evidence that faith without deeds is useless ?

 So let us begin our prayers with thanksgiving. Even if you can't think of it at first, if you make it a habit, you will realize the many blessings you received that day.

II. always, for everyone, no matter what.

 If you read verse 16, here it says, "We remember and pray for you continually.
 
We think about when and for whom we pray. And we pray for certain people at set prayer times. That is fine. But life is always a headwind. There are always problems going on, not only in our lives, but in the lives of our neighbors as well. The word constantly rests on both thanksgiving and prayer. In other words, Paul was always giving thanks and asking for the Ephesian church.
 
 There are 13 Pauline epistles in the New Testament, and all of them were written by Paul knowing, praying, and writing about the problems of each church. As long as he lived, he prayed daily for the church, for the congregation, and for the many who were unsaved.
 
 As for the believers, he prayed that their faith would not weaken, that they would not be influenced by false teachings, that they would not fall into temptations and traps of the devil, that they would make good decisions, and that they would walk according to His will.

 As I have told you before, prayer is the greatest service a Christian can perform. This is because prayer transcends human limitations. It is true that we may do several times as good a job as a competent person. But it can never go beyond the human level. If the messenger is great, he or she will satisfy many people. If the music level of the worship service performers is high, it may move people. But without spiritual work, that is, without being backed up by prayer, it cannot spiritually fill the people who gather there. In other words, no work can go beyond the human level without prayer. The Lord's great power and glory will not be manifested.

Let’s read Exodus 17:8-13
 We find this principle in Exodus 17, starting in verse 8, when Israel was in the wilderness and the Amalekites attacked them. Moses found that he needed the Lord's power in this battle, so he sent Joshua to fight as leader. Meanwhile, Moses himself went up the hill with Aaron and Hur. So the Bible says that when Moses’ hands were up, Israel had the upper hand, and when Moses put down his hands, the enemy had the upper hand. That, in other words, shows the power of prayer. When Moses grew tired, Aaron and Hur supported Moses' hands. They continued to do so until the sun went down, and as a result, Israel was victorious.

 In other words, the power of God continued to work over Israel through the continuous prayers of several people, and they defeated their enemies.

 Joshua and his men-at-arms fought on the field. They worked hard, too. But it was the prayers of Moses and his men that decided the victory.
 
 I think that when I become an old man and my body functions less than it does now, I will finally be able to use my time for my most important service, which is prayer. Most of the information that comes in daily needs prayer. Recently, we have been praying for world problems at prayer meetings. God is governing the world. Sometimes people are left as they are because their sin nature manifests itself so clearly. But God is the Lord of essential peace. He is a God of love. He is a God of mercy. It is right to pray for God to do what is best for us.

 By the way, this is a bit off-topic, but Ayako Miura, in her book "In the Light," writes about sin as follows: "The greatest sin is the one that cannot be felt as sin.
 
 She says, "The greatest sin is not to feel that it is a sin.”

 In other words, we have two standards by which we measure ourselves and others, and we are hard on others and soft on ourselves. When others fail, they are subject to criticism. But when I make the same mistake, I do not blame myself with the same harshness. You are very forgiving of yourself. This double measure is what I am saying is the essence of sin: self-centeredness.

 Many people cannot realize their own sin. But when the light of the Holy Spirit shines through, they can see the truth in the darkness. That is why we pray for non-Christians at all times.

 Paul writes more about today's passage in chapter 6:18.

 6:18 And pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. With this in mind, be alert and always keep on praying for all the saints.

 Here, to pray in the Spirit is to pray to receive the work of the Holy Spirit.

 Romans 8:26 In the same way, the Spirit helps us in our weakness. We do not know what we ought to pray for, but the Spirit himself intercedes for us with groans that words cannot express.
 We do not know what we ought to pray for, but the Spirit itself intercedes for us with groans that words cannot express. Therefore, we cannot pray correctly without the guidance and help of the Holy Spirit. The Holy Spirit works when we pray and guides our prayers in the right direction.

 Also, to "be continually awake" is, in English, to be alert. In other words, be awake. The devil uses various methods to keep us from praying. He makes Christians think about other things when they try to pray, makes them sleepy, or makes it difficult for them to concentrate. When the Lord Jesus was praying in Gethsemane, His disciples fell asleep. If you try to pray before going to sleep at night, you will experience that you will mysteriously become sleepy. Therefore, prayer meetings are important. Being with others protects us from the temptation to fall asleep or to think about other things.

 And then there is patience. Patience means to keep praying even when you don't see results.
 
The Lord Jesus explains this.

 Luke 18:1 Then Jesus told his disciples a parable to show them that they should always pray and not give up.

 This story is a parable of a dishonest judge who does not give the widower a fair trial, but through this,

8 I tell you, he will see that they get justice, and quickly. however, when the Son of Man comes, will he find faith on the earth?

 Quickly, but that does not mean for a short time. It is not unusual to pray for one thing for several years. It takes a long time, especially for salvation.

 For a variety of reasons, answers to prayers take time. But God's plan will surely come to pass. God uses our prayers. Prayer is also a time of spiritual communion with God. If we stop praying, we will not have time to spend with God.

 To us, problems seem big. But there is no bigger problem than God. God is the One who confronts those problems with His children. Prayer is to stand by God. It is to live with God. It is to experience God's love.

Let’s pray.