悪環境と神の愛
2024年2月4日
聖書箇所:創世記3章16-19節
聖書は大きく3つに分かれます。まず、創世記2章とそれ以降です。これは、罪のない世界と罪が入った世界です。そして、聖書の最後の書物である黙示録21章です。これは再び罪がない世界です。つまり、聖書は罪のない世界から始まり、そのほとんどは罪の世界、そして、最後に罪のない世界が再び造られるという歴史書なのです。私たちは、今聖書の物語の中間から終わりの部分に生きているのです。
今日は、罪によって世界が悪くなるスタート時点から現在についてです。
まず、エバが罪を犯して、出産が困難になりました。また、夫婦関係が難しくなりました。そして、アダムが罪を犯し仕事が大変に、環境が大変に、そして、死が入りました。
これらは創世記3章から、どの時代においても実現しています。夫婦関係は家庭と置き換えれば、家庭ほど壊れやすいものはありません。そして、環境です。自然は美しさと恐ろしさの両方を持っています。海は綺麗で、癒されますが、同時に津波が来れば多くの人の命を奪います。山登りは爽快ですが、雪崩や天候の変化で登山者が命を落とします。
日本の石川県で地震と津波で多くの人たちが犠牲になりました。今教会から栗山夫妻が行って助けています。多くの人たちは老人たちで、テレビのインタビューに再建できるかどうかわからないと答えていました。 私がいた2022年まで、日本は地震よりは集中豪雨で村や街が消えてしまうことが起こっていました。自然は美しいですが、恐怖でもあるのです。そして、死ぬ事です。ある人は、人が死ぬ事が罪人の証拠であると言っていますが、創成期の出来事が真実であれば、死ぬ理由は罪を犯したからです。死はいつの時代も恐怖と悲しみを与え続けてきました。最近、テレビのインタビューであるベイプをしている男の子が「どうせ死ぬんだから、ベイプに害があっても関係ない」と言っていました。では彼が死の恐怖から解放されているのかといえば、そうではないと思います。死には死に至るまでの痛みの恐怖と死ぬ恐怖と両方があります。もし、痛みだけが恐怖であれば、安楽死という方法がありますが、安楽死が増えない理由はみなが死ぬことの恐怖が出るからです。「死にたい」と思っている人は多いですが、実際に死ぬ人は少ないのもそれが理由でしょう。
話を私たちの生活に進めると、私たちはこの罪による悪い環境を受けながら生きています。壊れた家庭、何が起こるかわからない自然環境、いつどうなるかわからない仕事、そして、これもいつ、どのように来るかわからない死の現実の中で生きているのです。それで、多くの人は宗教を頼り、お金を頼りながら、なんとか生きているのです。
それでは、福音は何をどのように解決してくれるのでしょうか。福音とはgoodnewsですが、何がグッドなのでしょうか。今日は福音の意味を三つのポイントからお話しします。
I. 福音は罪の赦しと死からの解放
まず、福音は罪の赦しと死からの解放です。残念ながら、罪がなくなることではありませんし、肉体的に死ななくなることではありません。また、病気にならなくなったり、今の病気が治ることでもありません。
罪の赦しとは、地上で犯した全ての罪が赦される、つまり、無罪となることです。死からの解放とは、肉体的な死はありますが、その後復活して新しいもっと良い身体が与えられるという事です。
これは聖書の神が罪を問題にしないという事ではありません。普通は天国に行くためには、悪いことをしないで、良いことをたくさんしなければならないと考えます。しかし、本当にそうでしょうか。もし、神がいるとして、その神が義なる方だとしたら、罪を良い行いで消せるでしょうか?
最近、韓国の「未成年裁判」というドラマを見ていますが、その中で部長裁判官の息子が不正に関わってしまったことで裁判となります。彼は22年間真面目に罪と妥協せずに生きてきた裁判官です。しかし、この息子を守るため、また、自分のキャリアを守るために、息子の犯罪がバレないように、裁判を捻じ曲げようとするのです。しかし、部下の判事にそのことがバレてしまいます。彼は「22年間で一回だけだ。君が黙っていれば、私は社会にもっと貢献できるのだ。」と言います。しかし、その部下は答えます。「罪を犯したら、罰を受けなければなりません。」と。彼はその事を受け入れ、自分の罪を認めます。しかし、その後彼は懲戒処分を受け、裁判官のポジションを失います。彼は築き上げてきた名声を失います。これが現実ではないですか?つまり、処罰されない罪は存在しないのです。たとえ、その人がどんなに良い人で、真面目な人で、社会に貢献したとしたも、同様なのです。
ですから、神の前に「軽い刑」で良かったね、ということはありません。義なる神の前に出るのですから、どうしても無罪を勝ち取らなければなりません。しかし、神は愛のお方ですから、その方法をすでに教えてくれているのです。それがイエスの身代わりです。
次に、死についてです。多くの人は死を恐れます。死を恐れるので、今の生活が良いと思うのです。たとえ、病気でも、良い仕事や職業につけなくても、良い国に生まれなくても、寂しく、辛くても、死ぬよりは良いと思ってしまうのです。
しかし、本当にそうでしょうか。
天国が確実にあるならば、むしろ早く行けることが幸いです。天国では、完全な健康体となり、老化も病気も怪我もありません。完全な精神が与えられて、不安や傷みや心の傷や悲しみがありません。
II. 福音は、神との和解
福音は、神との和解です。私たちは神の前に罪を犯す罪人ですが、神は罪を赦してくださいます。そして、神は私たちへの怒りを取り去り、愛の関係の中に入れてくださるのです。
多くの人は、神は人類を愛していない残酷な神か、神はどんな人でも愛している優しい神のどちらかで考えています。世界の悲惨な状況を見る時、神は残酷な神に見えます。一方で、神は愛の方で最後はどんな罪人も赦し、受け入れてくれる「観音菩薩」のような存在と考えています。
聖書の神はそのどちらでもありません。神は罪人に対して怒り、罪を赦してほしいと願う人たちには愛の神です。神の心は、愛したいけど罪人を愛することはできない、辛い傷みの心です。父親が放蕩息子をそのままで受け入れたくても、彼がしていることを見るならば、そのままで受け入れることはできない、という引き裂かれるような心の状態なのです。
聖書には、神ご自身が和解を願っていると書かれています。
2コリント 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
日本語の懇願がしっくりと来ます。英語ではmake his appealとありますが、強い願いは伝わってきません。懇願には、「強い願い、どうしてもなんとかしたい」気持ちが伝わって来ます。
「私たち」とは、クリスチャンのことです。神が私たちを和解の使者として、なんとかこの仕事を頑張ってほしいと願っておられるのです。
以前に、天地創造前の物語を話しました。父なる神はアダムが罪を犯すことを知っていました。しかし、自由意志を与えているのでそれを阻止することはしません。アダムが罪を選んだことで、全人類が罪人になりました。さて、子なる神、イエスが来ます。そして、言います。「私が罪人の罪を背負い十字架にかかります。ですから、私を救い主として受け入れる人たちを受け入れてください。」父は答えます。「もちろん、そうしよう。あなたを受け入れる人たちを、他の条件なしで和解し、受け入れましょう。」
この物語は聖書には書かれていませんが、神の御性質から考えると間違っていません。救いと和解は、父なる神が計画し、子なるイエスが実現し、聖霊が働いているのです。
III. 神が共に歩んでくださる人生
福音は神が共に歩んでくださる人生です。スーパーマンが一緒にいて、すぐに困難な状況から助けてくれるのとは少し違います。神は私たちの人生が良くなるようにそばで助けてくださるのです。
ただ、良い人生とは、すべてがうまく行って、失敗せず、健康で十分以上のお金があるということではありません。クリスチャンも病気になり、事故に遭い、失敗し、肉体的な死を経験します。
神は私たちの人生の様々な出来事を良い人生にするために用いるのです。
ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
この「すべてのこと」とは、人生に起こる悲劇や否定的な出来事を含みます。神は心の傷みも、失敗も、病気も、良い計画のために用います。神は自然災害を用います。神は嫌な人や人災も利用します。クリスチャンの人生にもあらゆることが起こります。しかし、神はその人生を良くしていくのです。
神が共にいる事で他のことを期待している人には、少し失望するかも知れませんが、もし、神がことごとくあなたを助けていれば、その人生はあなたの人生ですか?
「ドラえもん」のような神様を求めますか?しかし、のび太は自分の人生を生きていると言えますか?神は私たちが本当に助けが必要な時には、必ず助けてくださるお方です。
昔、あるアフリカの部族の成人式で、こういう儀式がありました。その子は夜危険なジャングルを一人で歩き、目的地から指定されたものを持って来ます。武器を片手にあらゆる状況に対応しなければなりません。彼は震えながら、進んでいきます。そして、目的地に着くと、意気揚々と帰って来ます。村人から成人と認められるのです。一見、とても危険が伴う儀式と思います。もし、獣に襲われたらどうなってしまうのだろう、思います。しかし、この儀式には裏があります。それは、その子の後ろに気づかれないように、父親がついているのです。この父親はもし子どもに何かが起これば、すぐに助ける準備ができているのです。その子は自分が一人だと思っています。しかし、実際には父親がすぐ後ろにいるのです。
神は目には見えませんが、いつも私たちと共にいます。私たちを置き去りにしたり、途中で離れてしまうことはないのです。
ファニー・クロスビーという讃美歌の作詞者がいます。多くの有名な賛美を作った人です。彼女は生涯目が見えませんでした。しかし、クロスビーはいつも霊の目で神を見ながら生涯を生きた人でした。晩年にある新聞記者がこう質問しました。「クロスビーさん、あなたがもしもう一度生まれてくるとしたら、今度はどのように生まれたいですか?」もちろん、彼は「今度は目が見えるようになって生まれたい」という答えを期待していたのです。しかし、クロスビーは言いました。「次も盲人として生まれたい」と言ったのです。その後に、彼女は「私が一番見たい人はイエス様です。私は天国で目が見えるようになって、最初に私の救い主を見たいのです。ですから、その時まで盲人の方が良いのです。」
If I had a choice, I would still choose to remain blind.. for when I die, the first face I will ever see will be the face of my blessed Savior.
クロスビーの地上での生活は、目が見えず不自由であったことでしょう。しかし、彼女は神が共に歩んでくださる幸いを満喫した一人でした。
最後に、このクロスビーの賛美歌「救い主イエスと」を聴いて終わりたいと思います。
祈りましょう。
Bad Environment and God's Love
February 4, 2024
Scripture: Genesis 3:16-19
The Bible is divided into three main sections. The first is Genesis 2 and beyond. This is the world without sin and the world with sin in it. Then there is Revelation 21, the last book of the Bible. This is again a world without sin. In other words, the Bible is a history book that begins with a world without sin, then a world mostly in sin, and finally a world without sin made again. We are now living in the middle to the end of the biblical story.
Today, we are looking at the present from the start of the world made worse by sin.
First, Eve sinned, making childbirth difficult. Marital relations also became difficult. Then Adam sinned and work became difficult, the environment became difficult, and death entered the picture.
This has been true in every age since Genesis 3. If we replace the marital relationship with the family, nothing is more fragile than the family. And then there is the environment. Nature is both beautiful and terrifying. The ocean is beautiful and soothing, but at the same time a tsunami can take many lives. Mountain climbing is exhilarating, but avalanches and changing weather conditions can kill climbers.
In Japan, an earthquake and tsunami killed many people in Ishikawa Prefecture. Mr. and Mrs. Kuriyama from the church are now going there to help. Many of them are old people, and they told a TV interviewer that they did not know if they could rebuild. Until 2022, when I was there, Japan had more torrential rains than earthquakes, causing villages and towns to disappear. Nature is beautiful, but it is also terrifying.
And then there is death. Some say that death is evidence of a sinner, but if the events of the Genesis period are true, the reason for death is because one has sinned.
Death has always been a source of fear and sorrow. Recently, in a TV interview, a boy who vapes said, "I'm going to die anyway, so it doesn't matter if the vape is harmful. But then I don't think he is free from the fear of death. Death has both the fear of pain and the fear of dying. If pain is the only fear, then euthanasia is the way to go, but the reason euthanasia is not increasing is because everyone will have a fear of dying. This is probably the reason why so many people want to die, but so few actually do.
Moving on to our lives, we are living in a bad environment due to sin. We live in a broken home, in a natural environment where we don't know what will happen, in a job where we don't know when or how it will happen, and in the reality of death, which also doesn't know when or how it will come.
So many people rely on religion and money to get by.
So what does the gospel solve, and how?
The gospel is good news, but what is good?
Today I would like to talk about the meaning of the gospel from three points.
I. The gospel is forgiveness of sins and deliverance from death
First, the gospel is forgiveness of sins and deliverance from death. Unfortunately, it is not the cessation of sin, nor is it the cessation of physical death. Nor does it mean that you will no longer be sick or that you will be cured of your current illness.
Forgiveness of sins means that all sins committed on earth are forgiven, i.e., you are acquitted. Deliverance from death means that there will be physical death, but then you will be resurrected and given a new and better body.
This does not mean that the God of the Bible has no problem with sin. Usually we think that in order to get to heaven, we have to do a lot of good things, not bad things. But is this really true? If there is a God, and if He is righteous, can He erase sin with good deeds?
I recently watched a drama about a trial in which the son of a judge is on trial because he was involved in an injustice. He is a judge who has lived a serious and uncompromising life of sin for 22 years. But to protect this son and to protect his career, he tries to twist the trial so that his son's crime will not be exposed. However, his fellow judge finds out about it. He says, "This is the only time in 22 years. If you keep quiet, I can contribute more to society." But the subordinate replies. But the subordinate replies, "If I commit a crime, I must be punished. If you commit a crime, you must be punished. He accepts it and admits his sin. He accepts it and admits his guilt. But then he is disciplined and loses his position as a judge. He loses the reputation he has built up. Isn't this the reality? In other words, no crime goes unpunished. This is true no matter how good a person he is, how serious he is, or how much he has contributed to society.
Therefore, there is no such thing as a "light sentence" before God. Because he is going before a righteous God, he must be acquitted. But God, being a loving God, has already taught us how to do that. That is the substitution of Jesus.
Next is death. Many people fear death. Because they fear death, they think that the life they have now is good. Even if they are sick, if they cannot get a good job or occupation, even if they are not born in a good country, even if it is lonely and painful, they think it is better than dying.
But is this really so?
If heaven is certain, we would rather be happy to get there sooner rather than later. In heaven, we will be in perfect health, with no aging, illness, or injury. We will be given a perfect spirit, and there will be no anxiety, no hurt, no heartbreak, no sorrow.
II. The Gospel is Reconciliation with God
The gospel is reconciliation with God. We are sinners who sin before God, but God forgives our sins. And God takes away His anger toward us and puts us in a relationship of love.
Many people think of God as either a cruel God who does not love mankind or a kind God who loves mankind. When we look at the dire situation of the world, God appears to be a cruel God. On the other hand, we think of God as being like Bodhisattva Avalokiteshvara, who is the loving one and will forgive and accept any sinner in the end, no matter what they do.
The God of the Bible is neither of those things. God is a God of love to those who are angry with sinners and want their sins forgiven.
But God's heart is a heart of painful hurt that wants to love but cannot love the sinner. It is a torn state of heart where the father wants to accept the prodigal son as he is, but if he sees what he is doing, he cannot accept him as he is.
The Bible says that God Himself seeks reconciliation.
2 Corinthians 5:20. 20 We are therefore Christ's ambassadors, as though God were making his appeal through us. We implore you on Christ's behalf: Be reconciled to God.
The Japanese word for entreaty fits nicely. The English has “make his appeal,” but it does not convey the heart. In the plea, it is a strong desire, a feeling of desperately wanting something to be done.
God wants us to be ambassadors of reconciliation and somehow do our best in this work.
Earlier, I told you the story of the pre-creation period. God the Father knew that Adam would sin. However, he does not prevent him from doing so because he has given him free will. Adam's choice to sin made all mankind sinners. Now comes Jesus, God the Son. And he says. "I bear the sins of sinners and take up my cross. Therefore, accept those who accept me as their Savior." The Father replies. Of course, I will. Let us be reconciled and accept those who accept you, without any other condition.
This story is not written in the Bible, but given God's character, it is not wrong. Salvation and reconciliation are planned by God the Father, realized by Jesus the Son, and guided by the Holy Spirit.
III. The Life God Walks with Us
The gospel is a life that God walks with. It is a little different than having Superman with you, helping you out of a difficult situation right away. God is there to help us improve our lives.
But a good life does not mean that everything goes well, that we never fail, that we are healthy, and that we have more than enough money. Christians also get sick, have accidents, fail, and experience physical death.
God uses the various events of our lives to make it a good life.
Romans 8:28 Romans 8:28 And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose.
This "all things" includes the tragedies and negative events of life. God uses heartbreak, failure, and illness for His good plan. God uses natural disasters. God uses bad people and human disasters. All kinds of things happen in a Christian's life. But God will make their lives better.
For those who expect other things from God's being with you, you may be a little disappointed, but if God is helping you at every turn, is that life your life?
Would you seek a God like Doraemon? But can you say that Nobita is living his life? The One who helps us when we really need help. That is Jesus.
There is an old African tribal coming-of-age ceremony that goes something like this. The child walks alone at night through the dangerous jungle. He must respond to every situation with a weapon in his hand. He goes on, trembling. When he reaches his destination, he turns back. Then he is recognized as an adult. I think it is a very dangerous ritual. What if he is attacked by a beast? But there is another side to this ritual. The father is behind the child so that he is not noticed. This father is ready to help if something happens to the child. The child thinks he is alone. But in reality, the father is right behind him.
God is right beside us. And He is the One who not only helps us, but can use what we are going through to make our lives better.
There is a hymn writer named Fanny Crosby. She is the author of many famous hymns. She was blind all her life. But Crosby was a person who lived her whole life always seeing God with the eyes of the spirit. In her later years, a newspaper reporter asked her the following question: "Ms. Crosby, if you were born again, what would you do? If you were to be born again, Mr. Crosby, how would you like to be born this time? Of course, he was expecting the answer, "I would like to be born blind this time. But Crosby said, "I want to be born blind again. I want to be born blind again. Then she said, "The person I want to see the most is Jesus. I want to be able to see in heaven and see my Savior first. Therefore, I would prefer to be blind until that time."
If I had a choice, I would still choose to remain blind. for when I die, the first face I will ever see will be the face of my blessed Savior
These two are blessed to walk with God. They consider it their greatest joy.
I would like to conclude by listening to this Crosby hymn, “All the Way My Savior leads me."