平和と一致の共同体


2023年1月28日主日礼拝
聖書箇所:エペソ4:1-6
 
 私たちの所属する共同体、教会でも家庭でも、平和と一致の共同体となる必要です。「平和と一致」こそが、私たちが世の光、地の塩となるための鍵です。歴史は平和の難しさを物語っています。ある人は言いました、「人類が平和である時は、ただ、次の戦争の準備をしている時だけである」と。実際、人類には平和と一致を持つことはほぼ不可能です。

 教会学校の子供たちは、礼拝の時には一致して聞いていますが、自由時間になるとばらばらになります。公園で遊んでいる子供たちが自然に仲間はずれなく、一緒になって遊んでいることはありません。おもちゃの取り合いをし、どこかで泣いている子供とひとりぼっちの子供がいます。女の子たちは自分の仲の良い子供だけとでおままごとをしています。男の子達は、元気なわんぱくとおとなしい子供たちです。さて、新しい子供が入ってきました。その子供はなかなか仲間に入れず、おどおどしています。これは大人になっても同じです。
 聖書が今日、語っていることは二つです。一つは、平和と一致が必要であることです。そして、二つ目は、それでは、どうすれば平和と一致を生み出すことができるか?です。

 まず、聖書が私達に与えているチャレンジは謙遜と柔和を尽くして平和と一致を求めなさいということです。
 謙遜と柔和とは、人ならば誰でもある程度実践していることでしょう。謙遜と柔和とは悪いことではありません。教会外でも、だれもが謙遜な人を好きですし、謙遜な人の周りには人が集まります。しかし、聖書の言葉は、謙遜と柔和さの限りを尽くしなさいということなのです。

 「限りをつくし」とは、完全に、completelyということです。これは平和と一致のための大きな努力をすることを要求していることです。

 また、一致のためには、次の二つも必要です。「寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」です。この謙遜、柔和、寛容、愛の4つがある時に「平和の一致」という実を結ぶのです。

イエスは山上の垂訓(マタイ5:9)で、
マタイ5:9 9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

また、パウロは他の箇所でもこう言っています。

ローマ12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

 イエス様はこの地上に来られたとき、武力によって神の国を広めることをされませんでした。イエスと弟子たちの間に喧嘩もありませんでした。イエスの姿は平和の姿です。
ですから、クリスチャンは喧嘩と分裂、そして、そのようなものから悔い改めることが、神の召しなのです。
あなたは平和の人ですか? それとも、争いの人ですか?

イエスが行くところに一致と平和がありました。教会が愛の一致の共同体となるだけでも社会に影響を与えます。それは一致と平和が難しいからです。

I. 一致を作り出す特質:謙遜、柔和、寛容、?
最初に、平和と一致を作り出す4つの特質を調べてみましょう。 
 
 まず、謙遜とは、劣等感に浸るためのものでもありません。真の謙遜とは神と自分を知っているということなのです。つまり、謙遜とは神の偉大さを知っているので、自分の小ささが見えているのです。自分は神の被造物であることを知っている人です。謙遜とは、自分と他者を比較するのではなく、自分と神を比較することなのです。

 謙遜とは、神をいつも見上げているので、神の前にへりくだっています。

1ペテロ5:6 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。

 謙遜の一つの実は、心配しない人生です。
 謙遜とは神を信頼し、不完全な自分ではなく、偉大な神に頼るものなのです。10分後に何が起こるかも分からない人間が一旦心配し始めたら止まらないのです。父なる神を信頼して生きるならば、安心と自由があるのです。ですから、真の謙遜とは自分の不完全さに頼らなくても、安心して生きていける人生なのです。

 柔和ということは、誰でも近寄って行きたい性質です。イエスはエルサレムに入場された時にロバに乗りました。これはイエスが柔和であったことを表しているのです。今までこの地上のリーダーや支配者の中で、普通の人が近寄れる人がどれほどいたでしょうか?王族や大統領、首相に、階層が低い人々が近寄ることができません。トルドー首相が電車やバスで通勤していて、横に座っている人たちと普通に話している姿を見る事はないでしょう。しかし、イエスは全宇宙の王でありながら、マグダラのマリヤ、取税人のマタイが、嫌われ者ザアカイが一緒に食事をできるほど柔和なのです。柔和な人たちになりましょう。そこには、安心があり、打ち解ける雰囲気があり、新しい人が来ても気軽に中に入れるのです。

 寛容とは、何回も赦すことのできる事であり、受け入れ続けることができる事です。私達が主なる神様からどれほど寛容をもって受け入れられているかを知る事が必要です。主は「私はあなたを見捨てず、あなたから離れない」と言われるのです。これは私たちが良い状態にいるからではなく、むしろ悪い状態にいる時の事です。
 ペテロは兄弟が自分に罪を犯す時、7回くらい赦せば十分に寛容だと思いました。しかし、イエスは7度を70倍しなさいと言われました(マタイ18:22)。
 
 受け入れられていることは安心を生み出します。私たちは神に対して安心できるのです。その安心が私たちの周囲に流れていくことが大事なのです。

 さて、次の四番目は愛ではなく、聖霊の働きです。3節を読みましょう。

3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

II. 聖霊の働きによる一致
 共同体と群集との違いはそこに共通点や目的、目標があるかどうかです。共通点が何もなければ、ただの集団です。混んでいる駅のホームと何の変わりもありません。テニス同好会はテニスという共通点があります。教会には聖霊という共通点があります。クリスチャンとは聖霊を内側に持っている人々の集まりです。また、教会は神を中心として集まり、主を礼拝するという目的があります。
 聖霊が教会を一致させる時に3つの領域で一致するようにされます。
 
4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
 
 からだは一つ。まず、救われている神の子供達は、一つの身体なのです。各自がキリストを頭にして、それぞれがお互いに結びついている器官なのです。身体は分裂することがなく調和を保っています。イエスは頭であるとは、イエスの言葉によって動くのが教会という事です。聖霊はイエスの言葉を私たちに教えます。それで、イエスに従うとは、聖霊によって導かれる事なのです。

 ですから、皆が聖霊の声を聞く時に教会は身体のように機能します。それは、身体は脳から指令通りに動くからです。牧師は聖霊によって解き明かされた聖書を教会にわかりやすく教えます。教会は、牧師がしっかりと聖霊の声を聞くように祈る必要があります。神は牧師に語るだけではなく、信徒にも語られます。ただ、牧師と信徒がそれぞれ違う声を聞く事はあり得ません。ですから、みんなが聖霊に聞き従うことが大事です。そのためには、いつも祈りあっていることです。誰もが完全ではないので、いつも、みんなが聖霊の導きをしっかりと受け取るように祈り合いましょう。

召しのもたらした望みが一つ
 次は召しですが、召し、つまり、callingです。この召しとは、職業的な召しではなく、むしろ、クリスチャン全員に与えられている目標です。私たちには同じ目標が与えられているのです。この目標とは、イエスの姿と変えられていくことです。私たちの人生は救いのためだけではありません。神の計画は、私たちが救われ、そして、イエスに似ていく事によって神の栄光を表す事です。イエスの人格に近づく事、それが神の栄光を表す事なのです。

 さて、次に5、6節です。
5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

III. 教理的一致
 三番目は、教理的な一致です。教会には愛だけが必要であり、教理は重要でないと思っている人もいます。しかし、天国に行くためには教理が必要です。異端はいつの時代にも存在します。異端は、聖書をねじまげ、教会から羊を奪って行くのです。忘れてはいけないことは、聖書が書かれた理由は、異端からクリスチャンを守るためです。
 
 教理的な一致はまず、イエスが誰かということです。イエスは聖書によれば、父なる神と同じ神様です。このイエスを救い主だけとしてではなく、神と受け入れることが正しい信仰です。信仰とは、イエスの言葉を神の言葉として受け入れ、信頼することです。ですから、イエスを預言者や倫理道徳の教師とする信仰は正しいキリスト教信仰ではありません。次に、バプテスマとは救いを象徴しています。救いとは、このイエスの十字架を信じることです。バプテスマを受けることが救いではなく、イエスの十字架を自分の罪のためと信じることが救いです。

 そして、最後に神様の正しい姿です。神は唯一です。ある人は宗教はみな同じ神を示していると言います。富士山はどこから登っても頂上に行ける、と。そんなバカな話はありません。それは、「すべてのカバンがルイビトンだ」と言っているようなものです。少し宗教を調べれば、それらの神様がどれほど違うかが明らかです。イスラム教の神は聖書の神と同じだと言います。では、コーランと聖書を根本的なところで一致するはずです。しかし、そうではありません。

 聖書は、神がご自分を間違えないように人間に与えた書物なのです。この書物から離れれば、神様がわからなくなります。
 神は全宇宙を造られたお方です。この神様以外に神はいません。この神は人類にとって父となるべきお方なのです。この方を父と呼ぶことができるようになることが救いです。これが、キリストの来られた意味であり、聖書の中心的なメッセージです。

 最後に、平和という言葉の意味を考えて終わりましょう。
 平和とは、ヘブル語でシャロームです。シャロームとは、英語では「Wholeness」、日本語では「完全」という語源から来ています。これは、身体、心、魂もしくは霊が健康である状態のことです。
 つまり、平和とは神との関係が良いということなのです。聖書によれば、私たちは罪によって神との関係が壊れています。つまり、魂が完全ではないのです。平和は隣人との関係から始まるのではなく、神との関係から始まるのです。
 神との関係が良くなれば、次に、自分自身との関係が良くなります。そして、隣人との関係が良くなって行くのです。

 しかし、それを逆にしているのが社会です。まず、隣人との関係を良くして何とか現実を乗り切ろうとします。しかし、内側に問題があるのでしばらくすると心の問題が起こります。心の問題を解決しなければなりません。それは自分との和解です。しかし、それで終わってしまいます。自分と平和を保ち、隣人との平和を得ても、神との平和がなければ、根本部分で壊れているのです。

 英語の勉強のために、ニューアムステルダムというドラマを見ています。このドラマは2018年から昨年まで5シーズン放映されました。今、3シーズンを見ています。このドラマの特徴は、心の問題を健康の根本として扱っている点です。そして、心の問題が解決されれば、うまく行くというメッセージを流します。しかし、本当にそうでしょうか?もしそうであれば、アメリカはどんどん良い国に向かっていて、世界はアメリカに見習うようになるはずです。しかし、実際はアメリカは、さらなる分裂と殺人に向かっています。人は自分の問題が解決されただけでは良い人にも、良い人生になることもできません。神との和解、霊の部分が良くならなければ本当の平和への道を進むことはできないのです。

 福音は、神との和解を導く良い知らせです。福音こそが完全な平和への道なのです。

 祈りましょう。


Community of Peace and Unity

Sunday Service on January 28, 2023
Scripture: Ephesians 4:1-6
 
Intro:
 Today's theme is the need for the church to be a community of peace and unity. Peace and unity are the key for us to be the light of the world and the salt of the earth. History tells us how difficult peace is. Someone once said, "The only time humanity is at peace is when it is preparing for the next war.” In fact, it is almost impossible for mankind to have peace and unity.

 Children in church school listen in unison during worship but fall apart during their free time. Children playing in the park do not naturally mingle and play together. They fight over toys, and somewhere, there is a crying child and a lone child. The girls play make-believe with only their best friends. The boys are the energetic ramblers and the quiet ones. Now, a new child joins the group. The child has a hard time joining in and is intimidated. This is the same with adults.
 The Bible speaks of two things today. First, we need peace and unity. And second, how can we create peace and unity?

 First, the Bible challenges us to seek peace and unity with humility and meekness. Humility and meekness are things that all people practice to some degree. Humility and meekness are not bad things. Even outside the church, everyone likes humble people, and people gather around humble people. However, the Bible tells us to be completely humble and meek. The Bible says, "Be complete," which means to maintain humility and meekness to the very end, no matter what. This demands that we make great efforts for peace and unity.

 Unity also requires two things: "Show tolerance and love one another.” This is to "show forbearance and be patient with one another in love.” When we have these four things: humility, meekness, forbearance, and love, we will bear the fruit of the "unity of peace.

Matthew 5:9 Blessed are the peacemakers, for they will be called sons of God.

Romans 12:18 If it is possible, as far as it depends on you, live at peace with everyone.

 When Jesus came to earth, He did not spread the Kingdom of God by force of arms. There was no fighting between Jesus and His disciples. The image of Jesus is that of peace. Therefore, it is God's calling for Christians to repent from quarrels, divisions, and the like. “Are you a man of peace, or are you a man of strife?” Where Jesus went, there was unity and peace. Even if the church is just a community of unity and love, it will have an impact on society. That is because unity and peace are difficult.

I. Qualities that create unity: humility, meekness, tolerance, ?

Let us examine the four qualities that create peace and unity. First, humility is not even about feeling inferior. True humility means knowing God and yourself. In other words, humility is knowing God's greatness so you can see your own smallness. It is someone who knows that he or she is a creature of God. Humility is not comparing yourself to others but comparing yourself to God. Humility is being humble before God because you are always looking up to God.

1 Peter 5:6 Humble yourselves, therefore, under God's mighty hand, that he may lift you up in due time. 7 Cast all your anxiety on him because he cares for you.

 One fruit of humility is a worry-free life. Humility is trusting God and relying on Him, not on our imperfect selves. If you live your life trusting God the Father, you have security and freedom. Therefore, true humility is a life in which we do not have to rely on our own imperfections to live in peace.

 Next, Meekness is a quality that everyone wants to approach. Jesus rode on a donkey when He entered Jerusalem. This shows that Jesus was meek. How many of the leaders and rulers on earth have been approachable by ordinary people? Royalty, presidents, and prime ministers cannot be approached by people lower in the hierarchy. You will never see Prime Minister Trudeau commuting on a train or bus and talking normally with the people sitting beside him. But Jesus is the King of the entire universe, yet He is so meek that Mary Magdalene, Matthew the tax collector, and the hated Zacchaeus can eat with Him. Let us be meek people. There is an atmosphere of security and openness, where newcomers can come in and feel free to enter.

 Next, Tolerance is the ability to forgive many times and to continue to accept. We need to know how much we are accepted by the Lord God with forgiveness. The Lord says, "I will not forsake you; I will not leave you.” This is not because we are in a good state, but rather when we are in a bad state. Peter thought that when his brother sinned against him, forgiving him about seven times was forgiveness enough. But Jesus told him to multiply seven times by seventy (Matt. 18:22).
 
 Being accepted creates security. We can feel secure in God. It is important for that security to flow around us.

 Now, the fourth is not love but the work of the Holy Spirit. Let’s read the verse 3.

3 Make every effort to keep the unity of the Spirit through the bond of peace.

II. Unity through the work of the Holy Spirit
 The difference between a community and a crowd is whether or not there is commonality, purpose, or goal. If there is nothing in common, it is just a group. It is no different from a crowded station platform. Tennis clubs have one thing in common: tennis. The church has one thing in common: the Holy Spirit. Christians are a group of people who have the Holy Spirit inside them. The church also has the purpose of gathering around God and worshipping the Lord.

When the Holy Spirit unites the church, He brings it to unity in three areas. Let’s read the verse 4.
 
4 There is one body and one Spirit-- just as you were called to one hope when you were called--
 
 First, the children of God who are being saved are one body. Each is an organ with Christ as its head, each connected to the others. The body is not divided but in harmony. Jesus is the head, which means that the church is moved by the word of Jesus. The Holy Spirit teaches us the words of Jesus. So, to follow Jesus is to be led by the Holy Spirit.

 Therefore, the church functions like a body when everyone hears the voice of the Holy Spirit. That's because the body moves according to the commands from the brain. The pastor teaches the church the Bible revealed by the Holy Spirit in an easy-to-understand way. The church needs to pray for the pastor to hear the voice of the Holy Spirit well. God not only speaks to the pastor, but also to the congregation. However, it is impossible for the pastor and the congregation to hear different voices. Therefore, it is important for everyone to listen to the Holy Spirit. To do this, we should always be praying for each other. Since no one is perfect, let us always pray for each other so that we all receive the guidance of the Holy Spirit.

 Next is the calling. This calling is not a vocational calling, but rather a goal given to all Christians. We are all given the same goal. This goal is to be transformed into the image of Jesus. Our life is not only about salvation. God's plan is for us to be saved and to show His glory by becoming more like Jesus. To draw near to the character of Jesus is to show God's glory.

 Now, let's look at verses 5 and 6.
5 one Lord, one faith, one baptism; 6 one God and Father of all, who is over all and through all and in all.

III. Doctrinal Unity
 Third is doctrinal unity. Some people think that only love is necessary for the church and that doctrine is unimportant. However, the doctrine is necessary to go to heaven. Heresy exists in every age. Heresy twists the Bible and takes the sheep away from the church. Remember, the reason the Bible was written was to protect Christians from heresy.
 
 Doctrinal unity is, first of all, who Jesus is. Jesus is the same God as God the Father according to the Bible. Accepting Jesus as God and not just as Savior is proper faith. Faith is accepting and trusting the words of Jesus as the Word of God. Therefore, faith that makes Jesus a prophet or a teacher of ethics and morality is not proper Christian faith. Second, baptism symbolizes salvation. Salvation is this belief in the cross of Jesus. Being baptized is not salvation, but believing in the cross of Jesus for one's sins is salvation.

 Next, God is righteous. There is only one God. Some say that all religions point to the same God. Mount Fuji can be climbed to the top from anywhere. That is absurd. It is like saying that all bags are Louis Vuitton. A little research into religions reveals how different their gods are. You say that the God of Islam is the same as the God of the Bible. Then, the Koran and the Bible should be in fundamental agreement. But they do not.

 The Bible is a book that God gave to man so that he would not be mistaken by men. If we leave this book, we will not understand God. God is the Creator of the entire universe. There is no other God but God. This God is the Father of humankind. To be able to call Him Father is salvation. This is the meaning of Christ's coming and the central message of the Bible.

 Let me conclude by considering the meaning of the word, “peace.” Peace is “Shalom” in Hebrew. Shalom means the English word "wholeness" or the Japanese word “perfection." It is a state of health in body, mind, soul, or spirit. In other words, peace means a good relationship with God. According to the Bible, our relationship with God is broken by sin. So, our souls are not healthy. Peace does not begin with our relationship with our neighbor, but with our relationship with God. When our relationship with God improves, then our relationship with ourselves improves. And then our relationship with our neighbors will improve.

 However, the world is doing the opposite. First, we try to get through reality by improving our relationship with our neighbors. But after a while, mental problems arise. You have to solve the mind problem. It is reconciliation with oneself. But it ends there. You can have peace with yourself and peace with your neighbor, but without peace with God, you are broken at the root.

 To study English, I am watching a drama called New Amsterdam. This drama aired for 5 seasons from 2018 to last year. I am now watching the third season. What is unique about this drama is that it treats the problem of the mind as the root of health. And it plays the message that if the mental problems are solved, things will go well. But is this really true? If that were the case, the U.S. would be on its way to becoming a better and better country, and the world would learn from the U.S. But in reality, America is heading toward more division and murder. One cannot be a good person or have a good life just by having one's problems solved. They cannot be on the path to true peace unless they are reconciled with God and the spirit part of their lives becomes better.

 The gospel is the good news that leads to reconciliation with God and the path to perfect peace.

 Let us pray.