悲観的な環境において肯定的になれる方法


2024年1月14日 聖書箇所:民数記13:25-33 
 私たちに人生は山あり谷ありです。谷の方がむしろ多いかもしれません。その谷の時には、どうしても否定的、悲観的になりやすいものです。しかし、そのような時こそ、肯定的、積極的にならなければならないのです。
ちなみに、今日のメッセージは今、現代にイスラエルがパレスチナの地を占領することが神のみ心と言っているのではありません。今の時代は、恵みと宣教の時代です。聖書はどこかの国がどこかに国を侵略することを正当化するものではありません。神が創造された人間を自分の利益や憎しみのために殺すことは、十戒の「殺してはならない」という命令に反します。
 今日の箇所を取り上げたのは、神の約束を信じるきることができなかったことの一つの例として、イスラエルを取り上げています。
 今日の箇所のイスラエルはいよいよ、出エジプトを終えて、いよいよ待ち望んだ約束の地カナンに入るところまで来ていました。しばしの荒野の生活は大変でしたが、それも終わろうしていたのです。ここで、全能の神を信じて進めば約束の土地に入れたのです。
 まず、彼らは12人のスパイを送りました。彼らは12部族の代表でした。彼らは40日間、カナンの地を偵察してから報告に帰ってきました。そして、言いました。「神の約束された地は、素晴らしい地でした。私たちが住むのにとても良い土地でした」しかし、彼らはその報告に加えて、非常に否定的な事をつけ加えました。
 現代風にいうとこうです。「しかし、皆さん。問題は、あの土地の住民は強いです。いくら神の約束と言っても、不可能は不可能です。ここは、あきらめるしかないでしょう。」
 しかし、カレブとヨシュアは反論しました。「あなた達は何を言っているのか?主が約束されたことは、現実的には難しくても主がしてくださる。出エジプトができたのは、私たちの力ではなく、神の一方的な奇跡であったはずです。神は今度も、ご自分の約束通りに奇跡の力によってあの素晴らしい地に入らせてくださる。私たちがしっかりと主に信頼すれば、主がしてくださる。」
 さて、民はどちらの言葉を信じたでしょうか? 多数決で言えば、2対10です。指導者モーセは当然、カレブとヨシュアの意見と同じでした。
 民は残念ながら、主よりも現実の困難を信じました。神の約束は現実的に可能なことだけであると考えました。カレブとヨシュアはただ、夢を見ている無責任な者であると考えていました。彼らは神が過去、現在と与えておられる奇跡の働きを思うこともありませんでした。そして、不信仰のゆえに、大声をあげて泣き叫んだのです。そして、その不信仰のゆえに彼らは神からその約束の地に入れる権利を取られてしまったのです。

 さて、旧約聖書は私たちへの訓戒のために書かれています。それは、私たちがイスラエルの失敗を繰り返さないためです。確かに、今は新約聖書の時代であり、神の忍耐の時代です。私たちに旧約聖書と同じ裁きが下されることはないのです。しかし、霊的な原則は同じです。今日、私たちが学ぶことができるのは神の約束をどんな状況でも信じる信仰です。
今日のタイトルは悲観的な中でも肯定的に生きる、ということです。
 さて、私たちが悲観的な状況で、暗闇の中にいると仮定してみましょう。丁度、元旦に起こった石川県能登半島の震災の被害を受け家族と家を失ってしまったとします。喜びと希望が失われた時に、クリスチャンであれば三つによって立ち上がることができます。

I. あなたは誰なのか
 まず、自分は誰なのか?自分と神はどのような関係にあるのかをもう一度確認し、確信することです。正しい自己認識こそ、悲観的な時には必要です。
 ところで、イスラエルの自己認識はどうだったでしょうか。
 イスラエルは神の所有の民でした。彼らは神の約束を与えられている民でした。そして、罪の赦しも受けている民でした。神に愛されている民でした。しかし、彼らは自分たちをどのように思っていましたか?33節を読むと、彼らは自分たちを「いなご」と言っていたのです。これは、弱く価値がないということです。
 さて、私たちはどうでしょうか?あなたは誰ですか?あなたと神はどういう関係を持っていますか?あなたは価値有る者でしょうか?あなたは愛されているのですか?それとも、あなたは小さい、どうでも良い存在ですか?もし、あなたが自分を小さい存在として、価値がないとするならば、あなたは悲観的な状況を乗り越えることはできません。しかし、あなたを神がどれほど愛されているかを思い出すならば、あなたは立ち上がることができます。確かに、あなたは弱い、小さい存在かも知れません。パウロもそう告白しています。
 2コリント11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。 2コリント1
 2コリント12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
 神はパウロを強くされたように、私たちを強くされるのではないですか?私は例外ですか? 
 問題は私たちの信仰にかかっています。私たちの罪のために十字架に架かって下さったイエス様によって私たちは神に愛される者となりました。イエス様を知らない人も神に愛されていますが、神は御子を信じない人には、一般的な恵み以上の事をなさりません。しかし、イエス様を信じる者には、神の子どもとされる特権をお与えになります。神の民であり、特別な恵みを受ける者です。十字架のあがないに感謝をささげ、そして、あなたと神の関係を確信しましょう。そして、あなたが立派で力がある両親に頼るように、神に頼りましょう。
 今日、不安があるならば、神をより求め、イエス様の十字架が私のためであったことを確信できるように祈りましょう。そして、不信仰を悔い改め、ますます、父なる神に信頼しましょう。イエス様をまだ、信じていない方は、神は求める者を拒みません。イエスを救い主として受け入れ、バプテスマを受けましょう。

II. 何を信じていますか
 関係の次には約束の言葉が大切です。約束のないところに進むことは信仰、信頼ではなく、無謀であり、無茶です。無茶と信仰は違います。
 さて、神はイスラエルにどのような約束が与えたでしょうか。
民数記13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
 イスラエルには約束が与えられていました。しかし、彼らはこの約束を信じませんでした。これは、神に対して失礼ではありませんか?神は約束を実行できないか、また、約束を破ってしまう方ですか?聖書では、神は全能者であり、その言葉は永遠に変わることがないとあります。
 神の約束を信頼するには、神が語られたことを握りしめることが必要です。
 ローマ4:19ー21
19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

 神の言葉を握りしめるためには、毎日、毎日、神と交わることです。それが本当に神のみ心であれば、聖霊が信仰を強めてくださいます。
 ある人があまりにも忙しく、夜詩篇を読むだけの生活をしました、しかし、詩篇を読みながら、彼は忙しく否定的な現実から、神への信頼を取り戻すことができました。
 彼は詩篇を読みながら確信しました。「神がおられんだ。み心ならばそれはなる!」と。
 あなたはどのような約束が与えられていますか?罪から解放される事。人生が導かれること。長年の祈りが答えられること。必要が与えられること。伝道する力が与えられること。心の癒しが与えられること。みなさん、それらはみんな神の約束です。
 そして、愛、寛容、親切、柔和、平安、喜びの御霊の実が結ばれることも約束なのです。
 聖書は約束の書物です。聖書の約束を自分のものにすれば良いのです。そのためには、その約束を握りしめるのです。
 私の知っている夫婦には子どもができませんでした。妻は夫を憎んでいました。夫はあきらめていました。夫に原因があったのです。夫と一緒に祈りました。すると、神の導きがありました。そして、子どもが与えられました。今では子どもがもう一人与えられ、牧師になりました。
 さて、ここで少し違う角度で考えてみましょう。
 理解することと信じることは違います。聖書をどんなに理解していても、実際の生活で「やはり、現実は厳しいよ。」と言ってしまうならば、あなたはイスラエルの民と何も変わることはありません。それでは神の約束を受け取ることはできません。信仰は決断であると同時に、信仰は実践であり、神の約束が実現するまでの忍耐のことなのです。
 ある人は現実主義と理想主義をいったり来たりしています。現実的に難しい。家族がいるし、仕事があるし、そんな事したことがないし等を理由に主の言葉を信頼して一歩踏み出すことをしません。しかし、聖書は神に従うためには家族をも憎みなさい、と言っています。これは実際に憎むよりも、主を優先しなさいという意味です。信仰の歩みを妨げるならば、家族のような大切な存在にでも影響されてはいけない、という意味です。
 私は家族の中で最初のクリスチャンです。父、母、弟、こどもたち、姪っ子、みんながクリスチャンです。しかし、主を信じた時に父から言われたことは、牧師にはなるな、弟を教会に連れて行くな、でした。しかし、その両方の命令を守りませんでした。次に、日曜日は早く帰ってきなさい、でした。しかし、教会では夕方に伝道集会があって日曜日は夜遅く帰宅しました。あまりにも父の命令に従わないので、神学校に行く時には、一時縁が切れてしまいました。しかし、主は最初におじいちゃんを救い、弟家族を救い、父を救い、母を救ってくださいました。
 民数記は私たちの信仰生活を表します。エジプトから解放され、律法を与えられ、訓練され、祝福の道を進むイスラエルの姿は、イエス様によって救われ、教会と共に歩み、聖書を与えられ、訓練が与えられ、祝福の道を歩んでいる私たちの姿です。
 神は私たちの信仰を見ています。私たちの信仰の決断と実践は私たちの人生を変えていくのです。祝福の道を前進するか、ヨシュアとカレブの言葉を無視したイスラエルのように荒野をぐるぐる回る道を選ぶかはあなたです。
 最後にある話をして終わります。これはC&MAの発行するアライアンスライフに昔掲載された証です。ミシガン州、デトロイトに住む、ある十八歳の前途ある青年が頭の痛みを訴えました。病院に行って、CTスキャンを通して調べると、小さい腫瘍が見つかりました。この証は母親が書いたものですが、両親は牧師で神に熱心に仕えてきた夫婦でした。腫瘍の話を聞くと、信じられないという気持ちでいっぱいであったと言っています。いよいよ、手術の日となりました。手術の予定はだいぶ遅れて、そして尚、手術は非常に部分的に行われ、腫瘍の一部だけが取り除かれました。父親はなぜ、手術の予定を変更したかを主治医に聞きました。すると、不思議なことに手術の朝、「友人から電話があり、もう一度腫瘍の位置を確認するように言われた」と言うことでした。そして、もう一度確認するとその腫瘍を全部取り除こうとすると記憶を司る機能に損傷を与えてしまう可能性が強いということでした。それに気づいた担当医は手術を変更したのです。それを聞いたこの夫婦は主に心から感謝しました。実はその友人とは、その地方の有力者で別に親しくはなかったのですが、その日、不思議と胸騒ぎがしてこの青年の手術が気になり電話をしたというのです。
 それからこのマットという青年は大学に入学して頑張りましたが、この腫瘍のせいで記憶が弱く、学校の授業について行けなくなりました。そんな時、またひどい頭痛がマットを襲って来ました。もう一度CTスキャンを取ると、新しい腫瘍が出来ていました。そして、いよいよ手術の日を迎えました。手術を準備しているとまた、手術の始まりが遅れました。そして、かなり遅くなって担当医が来ました。そして、こう言ったのです。「あなたに良い知らせがあります。腫瘍がなくなっていました。」そして、3週間前の写真と比べるとはっきりと腫瘍がなくなっていたのでした。
 医者も関係者も神様の介入を否定することができませんでした。神が癒されたのです。その後、マットは結婚してデザイナーとして働き、神が行ってくださった奇跡を証しています。

III. 神の主権(sovereignty)を信じましょう
 三番目に、私たちは神の計画の確かさを信じることができます。日本語で主権、英語でsoveigntyとは、わかったようでわからない概念です。これは、神の計画通りになるということです。
 では、神のわたしたちへの計画は何でしょうか。
 ローマ人への手紙8:37にこう書かれています。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
 この「圧倒的な勝利者」とは、神の私たちへの計画が最後に勝利を与える計画であることを教えているのです。
 時に、私たちは神に無視された、神に見捨てられた、と感じることがあります。祈りが聞かれなかった時、ひどいことが起こった時、思うような行かなかった時に、特にそのような声が強く響くのです。
 私はよくIRCC(カナダ移民局)に、自分のビザ申請書が無視されたのか、または、間違えてゴミ箱に落ちてしまったのではないかと不安になります。実際に、今回はビザが切れているにも関わらず、延長許可がおりませんでした。人間は間違えます。人間は頼りになりません。しかし、神の愛は違います。神の愛は変わることができないのです。
 この聖書の次の箇所には、「権威ある者も、力ある者も(神の愛から引き離せない)」とあるのです。私たちは敵であるサタンやまた人間の権力にも対抗できません。しかし、神は違います。神の前にはサタンも人間の力も虚しいものなのです。
 ですから、神を最後まで信頼すれば良いです。
 私たちの前には現実という大きな壁があります。しかし、神は私たちがその壁の前でたたずむのではなく、その壁を信仰という神の方法で乗り越えることを願っておられるのです。
 最後に聞きます。あなたはどちらを信じますか?いや、信じたいですか?全能の神ですか?それとも、あなたが経験している現実ですか? 
 祈りましょう。

How to be Positive in a Pessimistic Environment
January 14, 2024
Scripture: Numbers 13:25-33 
Pastor, Ichiro Okiebisu

 Life is full of peaks and valleys for us. The valleys may be rather more numerous. During those valleys, it is easy to become negative and pessimistic. But it is in those times that we need to be positive and proactive.
Incidentally, today's message is not to say that it is God's will for Israel to occupy the land of Palestine in this day and age. This is a time of grace and mission. The Bible does not justify the invasion of any country by any other country. Killing God's created human beings for one's own gain or hatred is contrary to the commandment of the Ten Commandments, "Thou shalt not kill."
 Today's passage is taken from Israel as one example of the failure to believe God's promises fully.
 In today's passage, Israel had just completed the Exodus and was about to enter the long-awaited promised land of Canaan. As their life in the wilderness had been difficult for a while, now it was coming to an end. Here, they could enter the promised land if they trusted in God Almighty and went ahead.
 First, they sent 12 spies. They represented the 12 tribes. They scouted the land of Canaan for 40 days and came back to report. Then they said. The land that God promised us was a wonderful land. But they added something very negative to their report. They said, “The problem is that the inhabitants of that land are strong. No matter how much God promises, the impossible is impossible. We have no choice but to give up.”
 However, Caleb and Joshua, among the 12, countered. “What are you saying? What the Lord promised, He will do even if it is practically difficult. It should have been God's one-sided miracle that made the Exodus possible, not ours. God will let us enter that wonderful land again by His miraculous power, just as He promised. He will do it if we trust in Him."
 Now, which word did the people believe? By a majority vote, it was two to ten. The leader, Moses, of course, agreed with Caleb and Joshua.
 The people, unfortunately, believed in the real difficulties rather than the Lord. They believed that God's promises were only what was practically possible. They thought that Caleb and Joshua were simply irresponsible dreamers. They did not even think of the miraculous works God had given them in the past and present. Their unbelief made them cry out loudly, then they were deprived of God's right to enter that promised land.
 The Old Testament is written for our admonition. It is so that we will not repeat the mistakes of Israel. Indeed, this is the New Testament age, the age of God's patience. We will not be subjected to the same judgment as in the Old Testament. Yet, the spiritual principles are the same. What we can learn today is the faith to believe God's promises in all circumstances.
Today's title is about living positively in the midst of pessimism.
 Now, let us suppose that we are in a pessimistic situation, in the dark. Suppose we have just lost our family and home to the Noto Peninsula earthquake and tsunami on New Year's Day. When joy and hope are lost, if you are a Christian, you can get up by these.

I. Who are you?
 First, who are you? You must re-identify and be certain of your relationship with God. Correct self-knowledge is what is needed in times of pessimism.
 By the way, what was Israel's self-awareness?
 Israel was a people owned by God. They were a people who had been given God's promises. They were people who had received forgiveness for their sins. They were a people loved by God. But what did they think of themselves, if you read verse 33, they referred to themselves as “locusts,” meaning weak and unworthy.
 Now, what about us? Who are you? What is your relationship with God? Are you worthy? Are you loved? Or are you small and unimportant? If you think of yourself as small and unworthy, you will never get over your pessimistic situation. But if you remember how much God loves you, you can rise up. Sure, you may be weak and small. Paul confessed as much.
2 Corinthians 11:29 Who is weak, and I do not feel weak? Who is led into sin, and I do not inwardly burn?
2 Corinthians 12:10 That is why, for Christ's sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong.
Philippians 4:13 I can do everything through him who gives me strength. .
 Doesn't God make us strong as He made Paul strong? Am I an exception? 
 The question depends on our faith. We are loved by God through Jesus, who was crucified for our sins. Those who do not know Jesus are also loved by God, but God does not extend more than general grace to those who do not believe in His Son. But to those who believe in Jesus, He gives the privilege of being made children of God. They are God's people and recipients of special grace. Give thanks for the vindication of the cross, and then be assured of your relationship with God. And rely on God as you rely on your worthy and powerful parents.
 If you are anxious today, seek God more and pray that you may be convinced that the cross of Jesus was for me. Then, repent of your unbelief and trust God the Father more and more. If you do not yet believe in Jesus, God will not reject those who seek Him. Accept Jesus as your Savior and be baptized.

II. What do you believe?
 Next to relationship, the word of promise is important. To go forward without a promise is not faith, trust, but recklessness and recklessness. There is a difference between recklessness and faith.
 Now, what promises did God give to Israel?
Numbers 13:2 "Send some men to explore the land of Canaan, which I am giving to the Israelites. From each ancestral tribe send one of its leaders."
 Israel was given a promise. But they did not believe this promise. Is this not disrespectful to God? Is God incapable of carrying out His promises, or is He one who breaks His promises? The Bible says that God is the Almighty and that His word is forever unchanging.
 To trust God's promises, we need to hold on to what He has said.
 Romans 4:19-21
19 Without weakening in his faith, he faced the fact that his body was as good as dead--since he was about a hundred years old--and that Sarah's womb was also dead.
20 Yet he did not waver through unbelief regarding the promise of God, but was strengthened in his faith and gave glory to God,
21 being fully persuaded that God had power to do what he had promised.
 To hold on to God's Word, we must commune with Him day in and day out. If it is truly God's will, the Holy Spirit will strengthen our faith.
 Someone was so busy that he only read the Psalms at night, but as he read the Psalms, he was able to regain his trust in God from his busy, negative reality.
 As he read the Psalms, he was convinced. If God is, it will be! If it is His will, it will be done!
 What promises have you been given? To be free from sin. To be guided in life. That long-standing prayers will be answered. To be given needs. The power to evangelize. Healing of the heart. These are all God's promises, ladies and gentlemen.
 They are also promises of the fruit of the Spirit of love, generosity, kindness, meekness, peace, and joy.
 The Bible is a book of promises. We can make the promises of the Bible our own. To do that, you have to hold on to those promises.
 I knew a couple who could not have children. The wife hated her husband. The husband had given up. The husband was the cause. I prayed with the husband. Then, a child was given to them. Now, they have another child, and he is a pastor.
 Now, let us consider this from a slightly different angle.
 There is a difference between understanding and believing. No matter how well you understand the Bible, if you say in real life, "Well, reality is harsh." then you are no different from the Israelites. Then, you will not receive God's promises. Faith is a decision, but faith is also a practice, a perseverance until God's promises are realized.
 Some people go back and forth between realism and idealism. It is difficult to be realistic. They have families, they have jobs, they have never done such a thing, etc., and they do not take a step forward, trusting in the Lord's word. But the Bible says to hate even your family in order to follow God. This means to put the Lord first rather than actually hating them. It means that we should not be influenced by even the most important people in our lives, like our family, if they hinder our walk of faith.
 I am the first Christian in my family. My father, mother, brother, children, and niece are all Christians. However, when I believed in the Lord, my father told me not to be a pastor and not to take my brother to church. However, I did not obey both of those commands. Next was to come home early on Sundays. However, I had an evangelistic meeting in the evening at church and went home late on Sundays. I was so disobedient to my father's commands that I was temporarily disconnected when I went to seminary. However, the Lord first saved my grandfather, then my brother's family, then my father, and then my mother.

Conclusion: The Book of Numbers represents our life of faith. Israel's deliverance from Egypt, given the Law, trained, and on the path of blessing, is our picture of being saved by Jesus, walking as Christians, given the Bible, given training, and on the path of blessing.
 God sees our faith. Our faith decisions and practices change our lives. It is up to you to choose to move forward on the path of blessing or to go round and round in the wilderness like Israel who ignored the words of Joshua and Caleb.
 I will end with a story. This is a testimony that was published long ago in Alliance Life, a publication of C&MA. A forward-thinking eighteen-year-old young man in Detroit, Michigan, complained of head pain. He went to the hospital, where a CT scan revealed a small tumor. This testimony was written by his mother, a pastor’s wife, and the couple who had served God diligently. She said that when she heard about the tumor, she was filled with disbelief. Finally, the day of the surgery came. The surgery was scheduled much later, and even then, the surgery was very partial, with only a portion of the tumor removed. The father asked his doctor why the surgery was rescheduled. Curiously, on the morning of the surgery, he said, "A friend called me and told me to check the location of the tumor again. And when he checked again, he was told that if he tried to remove the entire tumor, there was a strong possibility that it would damage the functions that control memory. The doctor realized this and changed the surgery. When the couple heard this, they thanked the Lord with all their hearts. The friend was not a close friend of theirs, but that day, he felt a strange stirring in his heart and called them because he was concerned about this young man's surgery.
 Matt entered college and did his best, but because of the tumor, his memory was weak, so he could not keep up with his schoolwork. Then, another severe headache struck Matt. Another CT scan revealed a new tumor. Finally, the day of the surgery arrived. As they were preparing for the surgery, the start of the surgery was delayed again. Then, quite late, the doctor in charge came. He said, "I have good news for you. I have good news for you. The tumor was gone. And compared to the picture taken three weeks earlier, the tumor was clearly gone.
 Neither the doctors nor the people involved could deny that God had intervened. 
Which do you believe? No, do you want to believe? Almighty God? Or the reality you are experiencing? 
 Let us pray.