ルツ記を終えて
今まで理解できなかったこととして、ルツは主イエスを表しているのではないかということです。
ルツは女性ですし、異邦人です。また、クリスチャンホームでもないし、新人です。しかし、このルツ記をナオミの視点で見る時に、もしルツがいなければナオミの人生はみじめな結果になっていたことでしょう。この外国人の新人クリスチャンによって、神様の祝福が一気にナオミの人生を好転させていくことになったのです。ルツは「ナオミと離れない」と言って、一緒にベツレヘムに行き、貧しいナオミを助け、ナオミの世話をしました。ルツにとってナオミを愛することは何の利益もない!にもかかわらずです。これらの特徴は、まさしく私たちの主イエスなのです。主イエスにとって私たちを愛することは何の利益もなく、私たちと一緒にいても何の良いこともないでしょう。しかし、主イエスは私たちを愛すると決め、その通りに私たちを助け、私たちの人生を良くしてくださるのです。歴史的に男尊女卑の世界観によって、イエスが男性であることに安心します。そして、女性の中にイエスの性質を見ようとしません。ですから、ルツの中にイエスが見えるというのは驚きです。しかし、聖書の世界観には男女差別はありません。
ルツは良い妻の見本という視点を超えて、ルツは主イエスを示しているという視点が必要なのです。私たちの人生には、苦難の時に離れず、常に私たちを助け、ずっと一緒に居てくださる人、そして、人生を死の淵から喜びと変える助け手が必要なのです。
「人生は出会いで決まる」と言われています。確かに、人との出会いで良くもなり、悪くもなります。その点で、神は福音を通して私たちに出会ってくださるのです。
もし、ナオミがルツを受け入れなかったら、と思います。せがむルツを強引に引き離し、一人の人生を選んだら、どうなっていたでしょうか。それを考えると怖くなります。神の恵みは、感謝して受け取らなければなりません。遠慮はいらないのです。神の救いの手を握りしめる時に、人生は変わるのです。