内に住まわれる神
2026年5月3日
聖書箇所:ヨハネ14:16–18
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
イントロ:
多くの人はクリスチャンを、
- 教会へ行く人
- 聖書を信じる人
- 善い行いをする人
- 宗教を持つ人として理解します。
しかし、クリスチャンとは単に教えを信じる人ではなく、三位一体の神様がその人の内に住まわれる人です。信仰生活とは、宗教活動ではなく、神様と共に生きることです。
背景
この場面は、最後の晩餐の時の弟子たちとの会話です。
主はご自身が捕らえられ、殺されると言っていたので、弟子たちは不安でした。
- 主が去ってしまう
- 自分たちはどうなるのか
その弟子たちにイエスは、あなたがたは一人にならない。神ご自身があなたがたのうちに住まわれると約束されたのです。
- 神は遠くにいる存在ではなく、共におられる方
14:16わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるためにです。
ここで、もうひとりの助け主を与えると約束しています。「もうひとりの助け主」とは聖霊です。
ギリシャ語 allos paraklētos は、「同じ種類の、別の助け主」という意味です。
Allos とは同じ種類の、パラクレトスはそばにいるために呼ばれる者ということです。
つまり、イエスと同じ性質を持つ助け主が呼ばれて来るということです。
助け主は、イエスの御性質を持っているので、
- 慰める方
- 支える方
- 弁護する方
導く方という意味があります。
私たちの人生は山あり谷ありです。時に天災が襲い、時に人災が襲います。私たちは嵐の中でかろうじて浮かんでいる船のような存在なのです。弟子たちは、イエスが来られたときに偉大な力で守られたのでとても喜びました。彼らも同じような弱い者たちだったからです。イエスは彼らを守り、彼らを助け、彼らを導き、彼らに必要なものを与えました。弟子たちはイエスがいるならば、人生は大丈夫だと安心していました。しかし、イエスの使命は十字架にかかることであって、弟子たちとずっと一緒にいる事はできません。イエスはそれで自分と同じようなもう1人の助け手を送ってくださるのです。
私たちは神様を知らないときには、自分の力で生きていました。しかし、私たちも自分の力で人生の荒波を乗り越えることはできません。多くの人がその苦しさと大変さの中で生きる力と希望を失ってしまいます。神様は、そのような私たちを遠くでじっと見ているだけの方ではありません。神様は聖霊なる神様を送り、偉大な力を持って私たちを助けようとしてくださる方なのです。
ですから、私たちの置かれている環境がどうであれ、
聖霊は共にいて助けてくださるお方なのです。
- 聖霊は信者のうちに住まわれる
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ここで、世とは世界に住む人たちです。世の人は、教会に行きません。それで、神様を知りません。教会は人々を待っているところではなく、人々のところに行くのです。教会は礼拝をする場所ではありません。教会はクリスチャン一人一人なのです。クリスチャンは、教会堂に集まる以外の時は世の中に遣わされているのです。
聖霊は真理の霊であると教えています。今日は詳しくお話ししませんが、真理とは偽りが全くない状態です。真理は正しい道を示し、真理は私たちが心から安らぐ場所なのです。
今の時代は真理からますます遠ざかっています。国の指導者が嘘を言い、インターネットでは嘘が溢れています。写真や映像も本物かどうかわかりません。何が真実なのか見えなくなっているのです。しかし、もっと恐ろしいことは人々が嘘と偽りに慣れてきていることです。真理、真実を求めなくなることです。嘘でも良いという文化が作られることです。
偽りでも良いという文化は、正しく生きることを辞めさせます。自分が良ければそれで良いという生き方になってしまうのです。社会が、友情が、家庭が、自分勝手になってしまうのです。
聖霊は聖書を通して何が正しい道なのか、を教えます。私たちが人間として正しく生きる道を歩むことができるように導くのです。
コンパスはいつも北を指します。昔の人はそれで地図を読み、山や海で正しい方向に進むことができたのです。聖霊は、人生のコンパスのような存在です。いつも、神様の道、正しい道を示すのです。
もう一つ、聖霊は私たちの内側、つまり、霊の部分に入ってくださるということです。
これは新約時代における驚くべき恵みです。
旧約時代、神の臨在は
- 幕屋
- 神殿
- 特別な場所と限られていました。しかし新約時代には、神様が建物ではなく、信じる者のうちに住まわれるのです。
1コリント3:16あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
さらに、聖霊が内住される時、
- 聖霊だけが来るのではなく、聖霊を通して、父と子との交わりの中に入れられます
ヨハネ14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
ここに、わたしたちはその人のところに来て住むとあります。つまり、父と子も聖霊によって共におられるのです。
毎日のディボーションの中で聖書を通して語ってくださるのは聖霊です。聖霊はイエスの霊ですから、イエスが語ってくださったともいえるのです。
以前の教会にある婦人がいました。その時は、前任の先生が教会を退職して、隣の駅で新しい教会を作る時でした。彼女は、前任の先生の教会に行きたかったのです。さらに、彼女はまさしくその隣の駅に住んでいたので、前任者の新しい教会には歩いて行けるような距離でした。しかし、デボーションの時に主イエスが彼女に語られました。「あなたは私が立てた新しい先生を助けないのか。」彼女はその言葉が主イエスからの言葉とわかりました。
彼女がその言葉を聞いて今まで通り教会に来ることになりました。また、彼女がそのことをみんなに証したこともあり、結局誰一人前任者の新しい教会に行く人はいませんでした。彼女は一人暮らしですが、いつも主イエスと一緒に食事をしていると言います。通勤している時も、仕事をしている時も、いつも聖霊を通して主イエスと会話をしているのです。そして、聖霊が自分の思いが間違っている時に、正しくしてくれるのを喜んでいます。いつも主イエスと会話する生活、それを聖霊が可能としてくださるのです。
- 主イエスは今もあなたを孤児にしない
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
ここはイエスが復活して、弟子たちに会うことの預言ですが、同時にご自分の天に登られた後も聖霊によって、共にいてくださるという約束です。
弟子たちは、イエスがいなくなれば、それで終わったと思っていました。しかし、イエスは、去っても新しい形で弟子たちと共にいてくださいました。そして、聖霊を通して、復活の主は今も教会と共におられます。
人生には、親に見捨てられるような時もあります。その時には、
安心できる場所と愛されているという確信を失います。
しかし主は言われます。あなたは孤児ではない。わたしが共にいる。
私は大学時代に救われて、献身した理由の1つは、主が「あなたを決して見捨てない」と声をかけてくださったからです。それは肉声ではなく内なる声でした。自分の声ではなく、確かに何かの声が内側に響きました。私はこれが一体どこから来てるのかと思っていろいろ聖書を調べたら、確かに聖書の中には神様の約束として、私は決してあなたを捨てたり見捨てる事はないと何箇所にも書かれているのです。
モーセ、ヨシュア、ソロモン、そして、イスラエル民族に対して主は、「あなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と語っているのです。
私には心の中の声として語ってくださいましたが、これは主イエスを信じるすべての人に語られている約束なのです。
現実的な厳しさと問題のただ中で、主が私を見捨ててしまったのではないかと不安になることがあります。しかし、聖書は「私はあなたを捨てない見捨てない」と約束しているのです。神様は永遠に私たちとともにいてくださり、離れていく事は無いのです。
ペンテコステとともに聖霊が多くの異邦人に下っていく時代が来ました。私たちはその恵まれた時代の中に生きているのです。聖霊は、親のように守り、助け、導き、必要なものを与えてくださるのです。

