多くの人にキリストを
2024年12月1日
聖書箇所:ピリピ3:18ー21
18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
先週、全的堕落の意味をお話ししました。罪の性質とは神の義を行えないだけではなく、神の義を憎んでいるということです。神の義を憎むことは神を憎むことですから、福音を受け入れない方々は、神の敵となってしまっているということです。
これは、クリスチャンにとって平然としているべきことではないのです。
I. 滅びに向かう人たち
主イエスはこう言いました。
マタイ7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
人は多くの人がしていることをすれば大丈夫と考えがちです。多数決はポピュリズムのリスクがあります。物事を決めるには、常に正しい情報と客観的な判断が必要です。
宣教師になる人の動機はいろいろとあると思いますが、一番多い動機はまだ福音を聞いていない人たちに何とか福音を聞かせたいという熱い思いです。それで生活水準も低い、言語もわからない国にあえて行ったのです。今の宣教師はそれなりの生活はできますが、昔の宣教師は病気などで命を落とす人も多かったのです。有名な宣教師の話としては、1956年、ウィートン大学の卒業生であるジム・エリオット(Jim Elliot)を含む5人の宣教師が、エクアドルのアマゾン地域でワオラニ族(当時はアウカ族と呼ばれていました)に殺害される事件が発生しました。彼らは、ワオラニ族にキリスト教を伝えるために活動していましたが、接触を試みた際に襲撃を受け、命を落としました。ジム・エリオットの残した有名な言葉があります。
「彼らは福音を聞く機会がないまま滅びに向かっている。私はすでに救われているが、彼らはまだ救われていない。」
彼らはピストルを持っていて自己防衛ができました。しかし、彼らのうち誰一人としてピストルを撃つことはなかったそうです。彼らはもしピストルで部族を殺してしまえば、福音は伝わらないだろうと考えたからです。
パウロも「今も涙をもって言うのですが」と書いているように、滅びに向かう人たちを黙ってみているような人ではありませんでした。彼の人生が主イエスを知ってから、宣教だけをしていたのを見ればわかります。
19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
滅びとは、消えてなくなるという意味ではありません。他の聖書箇所にはしっかりと主イエスを信じないならば、死後裁きが待っていると書かれているのです。
黙示録20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
ミケランジェロの最後の審判は、聖書の話です。神は人を責任ある存在として創造されたのです。ですから、この「自分の行いに応じてさばかれる」のが一番怖いことなのです。神の義の前に無罪判決を勝ち取れる者は誰もいないからです。クリスチャンは主イエスの十字架によって特別な赦免、つまり、赦しを受けているだけなのです。
黙示録20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
幸いな事に、世界中で多くの人たちが主イエスによって救われています。最近のデータはわかりませんが、福音は地球を周っています。宣教学では福音はエルサレムから始まって、エルサレムに戻ると考えています。これは最後に、ユダヤ人のリバイバルが起こるということです。世界でもっとも福音に対してかたくななのはユダヤ人と言われています。それは、自分たちがイエスを十字架につけたからです。しかし、最後は神の恵みで彼らがイエスこそ待ち望んでいたメシアだとわかる時が来るのです。
ゼカリヤ 12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
話はそれますが、最近は神様だけが解決できる問題が増えているように思います。戦争も環境問題も自然災害も人類の知恵と力ではどうしようもならない事がわかって来ているように思います。昔は、科学がもっと発展すればとか、もっと人類が進化すればとか、と言っている人たちがいましたが、今では進化や発展よりももっと根本的な問題があることが見えて来ています。それは、人類全体が正義よりも悪を欲しているという事です。戦争もどちらが正しいのかわからなくなっています。選挙でも誰が国や地方のことを考えているのかわかりません。誰も自分のことしか考えていないように思えます。
このような希望が見えない時代にあって、福音は本当の希望です。
II. 希望は天に
3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
国籍とは身分保証です。自分の存在の原点とも言えます。就職できない学生や定年退職した人たちは自分のIDを失います。名刺に書くことがなくなり、自分専用のデスクがなくなります。この世をすべてとして生きている人には寂しいことです。また、主婦も子育てがなくなると、することがなくなります。世間では、すること=存在の意味と価値なので、それらがなくなるとIDがなくなるのです。
しかし、クリスチャンのIDは変わることがありません。天国の民として生きているのです。天国民です。天国民は神の国に所属し、神のこどもたちなのです。つまり、存在自体にIDがあるのです。
天の国籍が素晴らしいだけではありません。神の国が実現する時にその民を罪のない身体と変えてくださるのです。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
私たちの最大の喜びは天にあります。それは、全く罪のない身体を受けれるからです。ここ数週間で、聖化のメッセージが続いています。聖化は大事です。しかし、聖書は同時に天に行く希望を持つように教えているのです。聖化は限界があります。栄化とは、神の力によって全てが変わる日です。自分の罪や弱さに焦点を当てるのではなく、神が与えてくださる恵みと希望に生きるのが私たちです。
福音とは、良い知らせでなければなりません。良い知らせとは人間の力ではどうしようもならないことを神が愛と恵みによって達成してくださったプレゼントです。福音とは、神の力を受けてこの地上で成功したり、富を得ることではありません。福音とは、この地上の人生ではなく、次の人生に良い知らせなのです。
地上では、生まれの格差があり、富の格差があり、健康の格差があります。それらは乗り越えることができません。罪人の社会=格差社会なのです。しかし、天ではそれはありません。天では誰もが神の子どもだからです。
一つ天国の素晴らしいことをお話しします。多くの人が良いコミュニティを求めます。一人で生きるのは寂しいからです。それで色々なコミュニティに参加します。しかし、どんなコミュニティでもそうですが、完璧な人間関係は不可能です。罪人とは傷つけ、傷つけられることを避けられないのです。それで、人をコミュニティを求めながら、コミュニティでは満足できないのです。また、一度傷ついた人はコミュニティに所属するのを恐れます。二度と傷つきたくないからです。しかし、罪人に絶対愛を求める前提が間違っているのです。
ある人がこう言いました。「私は天国に行きたくありません」と。早く死にたいのに永遠に生きるなんてあり得ない、というのが理由です。地上の人生に疲れてしまったのです。多くの人が天国に行くことを何か「好きなことができて、おいしいものを永遠に食べれる楽園」のように考えています。ですから、好きなことがない、別においしいものを必要としていない人は天国に関心がないのです。天国がなぜ素晴らしいかは、聖書がはっきりと教えています。それは罪が消えるからです。罪がないということは傷つけ合うことはないということです。そこに、自分勝手や自己中、また、悪意や悪い言葉も存在しません。ねたみや憎しみもありません。永遠に愛の喜びの中に生きるのです。実は、神ご自身が三位一体という愛のコミュニティを作ったのです。主イエスが十字架で一番苦しんだことは、父なる神との交わりが一瞬でも断絶することだったのです。神は罪のないお方なので、罪人と交わることができないのです。今、私たちはイエスの十字架によって、神が罪を見逃すという特権状態にあるので、罪人でありながら神と交わりを持つことができるのです。
多くの人が良い知らせを地上の生活に求めます。そして、地上に天国が実現することを願います。しかし、罪の性質がある限り希望はありません。罪のない世界でこそ希望が叶うのです。だからと言って、世の中に失望し、人々から離れて生きるのは正しくありません。地上は天国に行く人たちを見つけ、準備させるところなのです。私たちが会う人たちは、神様が会わせてくださった人たちなのです。神様は私たちを通して、その人たちに働くのです。私たちは神の器として生きているのです。天国の市民であることは、天国を伝える外交官でもあります。外交官とは外国に住みながら、自分の国の素晴らしさを伝えます。宣教師とは外国に行く人のことだけではありません。未信者の中にいるクリスチャンは、そこに遣わされている宣教師なのです。未信者のいる家庭では、クリスチャンがそこの宣教師です。未信者のいるコミュニティではあなたがそこに遣わされている宣教師なのです。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神は世、つまり、人類を愛しておられるのです。そして、福音は救いを求める人たちを救い出すための方法なのです。
クリスチャンにとって、地上の人生は外交官としての仕事をする人生です。人生とは神が与えている仕事をする時間なのです。地上の仕事は引退する時が来ます。しかし、神の仕事は次の世の行くまで続きます。
祈りましょう。
父なる神様。私たちが失望することのない本当の希望を持つことができますことを感謝します。それはあなたが十字架で成し遂げてくださったので間違いありません。そこに行く時に、罪のない身体を与えてくださることを感謝します。今は聖化によって罪と戦いますが、そこに行けばあなたの恵みによって罪のない身体に変えられます。また、私たちをあなたの計画によってそれぞれの場所に置いてくださり感謝します。ここで使命を果たすことができるように導いてください。まだ、多くの人たちがキリストの意味を知りません。宗教と区別がつきません。無神論が真理だと思って生きています。どうぞ、福音が引き続き多くの人を目覚めさせることができますように。
Proclaiming Christ to Many People
December 1, 2024
Scripture Reading: Philippians 3:18–21 (ESV)
18 For many, of whom I have often told you and now tell you even with tears, walk as enemies of the cross of Christ.
19 Their end is destruction, their god is their belly, and they glory in their shame, with minds set on earthly things.
20 But our citizenship is in heaven, and from it we await a Savior, the Lord Jesus Christ,
21 who will transform our lowly body to be like his glorious body, by the power that enables him even to subject all things to himself.
Last week, I explained the meaning of total depravity. The nature of sin is not only that we are incapable of practicing God's righteousness but also that we hate it. To hate God’s righteousness is to hate God Himself. Therefore, those who do not accept the gospel are enemies of God.
This is not something that Christians should view lightly.
I. Those Heading Toward Destruction
The Lord Jesus said:
Matthew 7:13 (ESV): "Enter by the narrow gate. For the gate is wide and the way is easy that leads to destruction, and those who enter by it are many.”
People often assume that following the crowd is safe. But just as populism has its risks, majority opinion is not always right. Proper decision-making requires accurate information and objective judgment.
Missionaries have various motivations for their work, but the most common is a burning desire to share the gospel with those who have not yet heard it. This drives them to go to countries where the language is unfamiliar and the living standards are low. Today’s missionaries may live relatively comfortably, but in the past, many lost their lives to illness and other hardships.
A famous example is the story of Jim Elliot, a graduate of Wheaton College, and four other missionaries. In 1956, they were killed by the Waorani tribe (then called the Auca) in Ecuador’s Amazon region while attempting to share the gospel. Jim Elliot left behind a well-known statement:
"They are heading toward destruction without hearing the gospel. I am already saved, but they are not."
The missionaries were armed with pistols and could have defended themselves, but none of them chose to use their weapons. They believed that if they killed the tribesmen, the gospel would never reach them.
Similarly, Paul writes in Philippians 3:18, “I now tell you even with tears,” showing that he could not remain silent while watching people head toward destruction. Paul’s life after encountering Jesus demonstrates his complete dedication to spreading the gospel.
Philippians 3:19 (ESV): "Their end is destruction, their god is their belly, and they glory in their shame, with minds set on earthly things.”
Destruction does not mean annihilation. Other passages in Scripture clearly state that those who do not believe in Jesus will face judgment after death:
Revelation 20:12 (ESV): "And I saw the dead, great and small, standing before the throne, and books were opened. Then another book was opened, which is the book of life. And the dead were judged by what was written in the books, according to what they had done."
Michelangelo's painting, The Last Judgment, illustrates this biblical truth. God created humanity as beings with responsibility. The idea of being judged “according to what they had done” is particularly fearful because no one can stand blameless before God's righteousness. Christians receive forgiveness solely through the cross of Jesus Christ, a special pardon granted by grace:
Revelation 20:15 (ESV): "And if anyone’s name was not found written in the book of life, he was thrown into the lake of fire."
Fortunately, many people worldwide are being saved through Jesus. The gospel continues to spread globally. Mission theology suggests that the gospel started in Jerusalem and will eventually return there, culminating in a revival among the Jewish people. This idea is supported by Scripture:
Zechariah 12:10 (ESV): "And I will pour out on the house of David and the inhabitants of Jerusalem a spirit of grace and pleas for mercy so that, when they look on me, on him whom they have pierced, they shall mourn for him, as one mourns for an only child, and weep bitterly over him as one weeps over a firstborn."
II. Our Hope Is in Heaven
Philippians 3:20 (ESV): "But our citizenship is in heaven, and from it we await a Savior, the Lord Jesus Christ.”
Citizenship defines our identity and guarantees our status. Many lose their sense of identity when they lose their job or retire. In Japan, people lose their name on business cards; in Canada, they lose access to work-related tools. This can leave those who live entirely for earthly purposes feeling empty.
For Christians, however, identity does not change. We live as citizens of heaven, members of God’s kingdom, and children of God. Those are our values as well as our identity. Heavenly citizenship also includes a promise:
Philippians 3:21 (ESV): "[Christ] will transform our lowly body to be like his glorious body, by the power that enables him even to subject all things to himself."
Our greatest joy is in heaven, where we will receive bodies completely free from sin. Over the past few weeks, the messages have focused on sanctification. Sanctification is important, but the Bible also teaches us to have hope for heaven. Sanctification has its limits. Glorification is the day when everything is transformed by God's power. Instead of focusing on our sins and weaknesses, we are called to live in the grace and hope that God provides.
The Gospel and Our Lives
The gospel is not about earthly success or wealth but about eternal hope. In heaven, there will be no inequality—no difference in birth, wealth, or health. All believers will be God’s children, living in perfect unity without sin.
Prayer
Heavenly Father, we thank You for the unshakable hope we have in Christ. Through His finished work on the cross, we are assured of complete redemption. As we live out our calling in the places You have placed us, help us to fulfill Your mission with faithfulness. May the gospel continue to awaken many who do not yet know Christ. In Jesus' name, Amen.