捕えようとして追求している


2024年11月24日
聖書箇所:ピリピ3:10-17

 前回はパウロがキリストに関係しないことをゴミのように思っているということを学びました。それらは、自分の目と心をキリストから離そうとするからです。今日は彼が人生の目標をしっかりと持っていたことを学びます。目標達成のためには、自分の時間とエネルギーを集中しなければなりません。ちょうど、スポーツ選手が最高のパフォーマンスをするためには必要ないことを捨て去るのと同じです。このパウロの生き方は、私たちの見本です。最初に10、11節を説明します。

 10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

 難しい表現です。これは聖化とは何かを説明しているのです。聖化とは、キリストの復活の力によって可能です。決して自分の努力によるものではありません。次に、聖化には苦しみが伴います。それは、罪の誘惑と束縛の力は強いからです。そして、最後は死と表現できるくらいの状態になります。自分の心を神に合わせることは簡単ではありません。イエスがゲッセマネで血の汗を流すほどに苦しんだことが書かれています。イエスには罪の性質がありません。しかし、罪を犯させようとする力が最大限に働いていました。イエスが一瞬でも、父なる神を疑ったり、み心に反抗したり、自分勝手な道を選んだら、それは罪ですから、私たちの救いの道は消えたのです。罪を犯したら他人の罪を背負うことはできなくなるからです。
11節の復活という言葉は、罪がほとんどない状態のことを言っていると思われます。私たちは、キリストの再臨か肉体の死によって罪のない身体が与えられます。しかし、ここの意味は罪のない身体ではなく、罪がほとんどない状態のことです。それは神学的には可能です。つまり、私たちは新生しています。新しい罪のない命が生きているのです。その新しい命で生きれば、ほとんど罪のない人生となります。しかし、現実的にはそういきません。ほとんど罪のない生活というよりは、ほとんど罪の生活を選んでしまうのです。キリストに十分な力がないからでしょうか。いいえ、聖化には神の力に協力する私たちの意志が必要だからです。

 私たちの環境は、ほとんど全てが聖化に反対する環境です。世の誘惑の力は強く、山にでもこもらない限り、様々な誘惑に打ち勝つことはできません。たとえ、山に一人でこもっていても、心に浮かんでくる罪への思い打ち勝つことはほぼ不可能です。だからと言って、あきらめたり、開き直るのは正しい信仰ではありません。パウロは自分を誘惑するものをゴミと呼び、目標をキリストに似ることに定め、それに集中して生きようとしたのです。

 これで今日のメッセージのほぼ90%です。では、引き続き12節からを読んでいきましょう。12節から16節を良く理解するためには、彼が三つの時制で話していることが役に立ちます。最初に、過去から現在です。

I. 過去から現在
3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
 
 パウロはここでクリスチャンになった時点から今までの生き方を書いています。文法的に言えば現在進行形です。彼はキリストに出会い、それまでの間違った生き方を知りました。そして、その後聖化を求めてきたのです。彼のことですから、相当熱心に罪を捨て去る努力をしてきました。

 ところで、神学用語で罪の性質のことをtotal depravityと言います。日本語では全的堕落と言います。つまり、完全に堕落して良いものは何一つないということです。ルターは、自伝の中で「私は神を憎んでいた。なぜなら、私は『神の義』という言葉を嫌い、憎んだからだ。」と書いています。これは、正直な告白であると共に、一つの真理を教えています。つまり、人はみな神の義が嫌いだということです。

 ある人は、みんなが良い人になろうと努力している、と言います。ヒューマニズムという考えです。問題は何のために良い人になろうとしているか、ということです。それは自分のためです。自分に良いことが起こることがわかっているので良い人になろうとしているのです。もし、良いことをして自分にいっさいの利益がなく損失を受けるような状況ではどうでしょうか。それでも正しいことを選ぶでしょうか。残念ながら、全的堕落とは脳と心まで罪に汚染されているということです。私たちは正しいことができないだけではなく、正しいことが嫌いなのです。
 
聖書はこう宣言しています。
ローマ3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

 では、神はどのようにして全的堕落の人を聖化に向けさせるのでしょうか。それが、後半部分です。キリスト・イエスが捕えているからです。

 救いと聖化はある意味同じことです。救いとは人生を方向転換させるからです。キリストの十字架は、救いのためだけではなく、聖化の力を与えるものでもあります。まず、聖化は、罪を悟ることから始まります。救われる前のことを考えてください。それまでも倫理道徳を学んだはずですし、悪いことをすると心が傷んだはずです。しかし、それは人生を変えるほどの力はなかったはずです。しかし、聖霊によって新生することによって、罪がわかるようになります。神の存在がリアルになり、救いが必要なことをわかってきます。それは、聖霊はすでに心を方向転換させているからです。聖霊は引き続き私たちを義に向かわせているのです。つまり、聖さへの願いをインプットし続けてくださっているのです。

 聖化とは別の言い方をすれば、「罪と戦う」ことです。私たちは毎日、義と罪の中でどちらかを選んでいるのです。ただ、それぞれでスタート時点は違います。ある人は犯罪者からスタートします。人を憎み、殺したいというところから始まります。ある人は行動は制御できますが、心の中は罪の思いでいっぱいです。いずれにしても、みなが自分のレースを走り続けます。神は聖書の言葉や環境を通して、私たちが罪を捨てるように導いてくださるのです。次にパウロは未来に向かって進んでいくことを書いています。そのまえに大事なことが書かれています。

3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

 これが挿入されているのは、当時も今も間違った教えが教会に入り込むからです。今、祈祷会でヨハネの手紙を学んでいますが、その時代はグノーシス主義という間違った考えが教会に入っていました。この考えは救われていれば聖化は必要ないという考えです。大事なのは救われているかどうかだけで、罪が赦された者は罪をどんなに犯しても問題とはならないという考えです。それに対してヨハネは福音とは救いだけではなく聖化も含まれると教えているのです。

1ヨハネ3:6 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。

 ここで、罪を犯すとは罪を平然と犯している者のことです。そのような人は福音をしっかりと理解していないということです。
 
 今も聖化は必要ないという牧師もいます。また、神学を持ち出して理論的に聖化の必要性を否定する教団教派もあります。聖化を否定することは救いを否定することであり、救いを否定することは救われていないということです。では、次にパウロの現在から未来への生き方を学びます。

II.現在から未来へ
3:16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
3:17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

 私たちは基本的に頑張ることは苦手です。しかし、信仰とは上を目指すことです。クリスチャンの人生は、多少の罪と妥協しながら生きる方が楽です。ですから、「自分にはそんなに上を目指していくのは無理だ」と自己弁明をしたりします。しかし、ここでパウロは止まったり、後ろに下がってはいけないと命じているのです。そして、自分の生き方を例にして、自分のようになりなさいとも言っているのです。

 なぜ、頑張ることができるかと言うと、私それを可能とする聖霊という最大の武器が与えられているからです。この方を求め、この方に頼るならば、内側から義の力が働くのです。

 先日のメッセージで、信仰生活とはマラソンのようなものだとお話ししました。テレビで完走した人の姿をみるといつも感動します。途中少し止まったかもしれませんが、最後まで走り続けたのです。ひたすらゴールを目指しながら、42.195キロを完走したのです。この距離は、ただ走ることが好きだからでは走りきれません。プロの選手でもリタイヤします。マラソンの完走は能力というよりは、練習と自己摂生によります。健康管理に気を使い、走ることに害になることは避ける生活が背後にあるのです。

 神の栄冠も、最後まで走りぬいた人に与えられるものです。今、あなたは信仰のマラソンで一番きつい所を走っているかも知れません。また、厳しさを越えて楽になったところかも知れません。しかし、楽だからと言って気を抜くと転んだりします。苦しい時はゆっくり、走れる時はスピードアップしながら、神の栄冠を受けるその日を楽しみにしながら走り続けるのです。

 聖化で大事なことは失敗しても良いということです。私達は多くの失敗をします。しかし、失敗しても救いを失うことはありません。神が失敗を許されるのは、失敗を通してより多くのことを学ぶことができるからです。ですから、失敗を見つめるのは辞めて、現在から未来を見ることが大切なのです。

 トーマスエジソンは電球の開発に失敗して自分の工場を灰にしてしまいました。彼の偉大なところは、失敗を恐れなかったことです。彼は自分の工場が燃えているものを見て、家族を探し、こう言いました。「こんな大きな火事は二度と見ることができないから。」とみんなでこの火事見物を楽しんだのです。そして、次の日に灰となった工場で机の上に横になり、周りの人にこう聞きました。「私達が再度出発するために必要なもののリストを作ってくれないか。」このようなエジソンだったからこそ、電球だけでなく、他にも大きな発明をすることができたのです。
 
 神の恵みは毎日新しく注がれています。毎朝太陽が昇るように、過去はリセットされ新しい日が始まるのです。
哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。」

 最後に、一つの適用を話して終わりたいと思います。
 人生は習慣で決まり、習慣は一つのことを継続して行うことで身につきます。2009年のロンドン大学の研究によると、新しい行動が習慣として自動化されるまで平均して66日という発表がされました。最初の1週間は意志の力。次に4週間の抵抗期がきます。この時期に多くの人は挫折します。この時期を超えると徐々に自動化されて、努力は少なくなるそうです。つまり、大事なポイントは最初の5週間です。

 たとえば不信仰という罪を例にとりましょう。お金持ちを除いてほとんどの人はお金をやりくりしなければなりません。プラスの時は心が平安です。ところがマイナスになると不安になります。そして、その不安は大きくなり神に対して不信仰になるのです。また、健康も同様です。痛みが起こると不安になります。不安は増大し、信仰を弱めるのです。

 そこで、不信仰が起こる前に感謝という行動を入れてみましょう。神が必要は与えてくださるということは聖書の真理です。それで、神が与えてくださると信じて感謝するのです。それまでの人生で神が真実だったことを感謝しても良いです。また、痛みがある時に神が最善をなしてくださるということを入れてみましょう。たとえそれが死に至る病でも、天国に行く時が近づいているということです。いずれにしても、感謝が心を支配すると不安が消え、不信仰にならずに済みます。重要なことはいつまでも罪の誘惑に浸っていてはいけないことです。代わりに感謝や賛美を入れることです。キリストが共に居てくださることを信じ、聖霊が力を与えてくださることを信頼することです。最初は小さいことから、徐々にチャレンジが必要なことをしていけば良いのです。

 クリスマスが近づいています。みなさんはどんな福音を伝えようとしていますか。ただイエスを信じれば天国に行けます、というのは、多くの人が嫌う宗教の勧誘に似ています。私を変えてくださっている救い主の力を知ってください、という証が伴う福音にこそインパクトがあります。

 祈りましょう。
 父なる神様、罪のないイエスと罪と戦い続けたパウロの見本を感謝します。そして、聖霊は私たちをいつも導き、助けてくださることを感謝します。私たちの歩みは弱く、不安定です。しかし、ゴールを目指して走り続けることができるように引き続き守り、助けてください。

Press on to make it my own

November 24, 2024
Philippians 3:10-17

Last time, we learned that Paul considered everything unrelated to Christ as rubbish because those things distracted his eyes and heart from Christ. Today, we will learn that Paul had a clear life goal. To achieve that goal, he concentrated his time and energy, much like an athlete who discards unnecessary distractions to perform at their best. Paul’s way of life is our model. Let’s first examine verses 10 and 11.

Philippians 3:10-11:
10 that I may know him and the power of his resurrection, and may share his sufferings, becoming like him in his death,
11 that by any means possible I may attain the resurrection from the dead.
These are difficult expressions. They describe sanctification. Sanctification is possible only through the power of Christ's resurrection, not by our own efforts. Sanctification involves suffering because the power of sin's temptation and bondage is strong. Aligning our hearts with God is not easy. Jesus suffered to the point of sweating blood in Gethsemane. Though Jesus was sinless, the full force of temptation to doubt the Father, rebel, or choose his own way was upon him. Even the smallest deviation would have been sin, and our salvation would have been lost. If he had sinned, he could not bear the sins of others.
The resurrection mentioned in verse 11 seems to refer to a state of minimal sin, not a sinless body. We will receive sinless bodies at Christ's second coming or at physical death. However, the meaning here refers to a state of minimal sin, which is theologically possible. We are born again with new sinless life in us. If we live through that new life, we can live lives with minimal sin. However, practically speaking, this is rarely achieved. Instead of living lives with minimal sin, we often choose lives filled with sin. Is it because Christ lacks power? No, it’s because sanctification requires our will cooperating with God’s power.

Our environment almost completely opposes sanctification. Temptations of the world are strong, and unless we retreat to a mountain, it’s nearly impossible to overcome them. Even in solitude, sinful thoughts arise. Yet giving up or becoming complacent is not true faith. Paul called everything that tempted him garbage, set his goal on becoming like Christ, and concentrated his life on that goal.

This is 90% of today’s message. Now, let’s continue with verses 12-16. To understand these verses, it is helpful to recognize that Paul speaks in three tenses: past, present, and future. Let’s first look at the past to the present.

I. From Past to Present
Philippians 3:12:
12 Not that I have already obtained this or am already perfect, but I press on to make it my own, because Christ Jesus has made me his own.

Paul describes his life from the moment he became a Christian to now. This is in the present progressive tense. He encountered Christ, realized his previous way of life was wrong, and sought sanctification thereafter. Knowing Paul, he must have passionately worked to discard sin.

In theology, the sinful nature is called “total depravity,” meaning complete corruption where nothing good exists. Luther confessed in his writings, “I hated God because I hated the phrase 'the righteousness of God.’” This honesty reveals a truth: all people naturally hate God’s righteousness.

Some say that everyone strives to be good. This is humanism. The problem lies in the motivation behind being good—it's often self-serving. If doing good brought no benefit but only loss, would they still choose to do good?

Total depravity means that both the mind and heart are tainted by sin. Not only are we unable to do what is right, but we also dislike righteousness itself.
Romans 3:10:
“As it is written: None is righteous, no, not one.”

How does God turn totally depraved individuals toward sanctification? The answer lies in the latter part of the verse: Christ Jesus has made us his own.

Salvation and sanctification are interconnected. Salvation redirects a person’s life. Christ's cross not only saves but empowers sanctification. Sanctification begins with an awareness of sin. Before salvation, you may have learned ethics and morals or felt remorse for wrongs, but it likely did not transform your life. Through regeneration by the Holy Spirit, sin becomes clear, God becomes real, and the need for salvation is understood. The Holy Spirit continues to guide us toward righteousness, inputting a desire for holiness.

Sanctification is essentially a battle against sin. Every day, we choose between righteousness and sin. Our starting points differ—some begin as criminals, harboring hatred and murder in their hearts. Others can control their actions but are filled with sinful thoughts. Regardless, we all run our own race. Through Scripture and circumstances, God leads us to abandon sin. Paul then shifts focus to the future. Before this, something important is written:

Philippians 3:15 (ESV):
"Let those of us who are mature think this way, and if in anything you think otherwise, God will reveal that also to you."

This is included because, both then and now, false teachings have entered the church. Currently, in our prayer meetings, we are studying the letters of John. In his time, a false teaching called Gnosticism had infiltrated the church. This belief claimed that sanctification was unnecessary if one was already saved. According to this view, what mattered was whether one was saved, and it argued that those whose sins were forgiven could continue to sin without it being a problem.

In contrast, John taught that the gospel includes not only salvation but also sanctification.

1 John 3:6 (ESV):
"No one who abides in him keeps on sinning; no one who keeps on sinning has either seen him or known him."

Here, “keeps on sinning” refers to those who sin without remorse or concern. Such individuals do not truly understand the gospel.

Even today, there are pastors who claim that sanctification is unnecessary. Some denominations or theological groups even use doctrine to argue against the necessity of sanctification. Denying sanctification is essentially denying salvation, and denying salvation means that one is not truly saved.

Now, let us learn about how Paul approached his life from the present to the future.

II. From Present to Future
Philippians 3:16:
“Only let us hold true to what we have attained.”
Philippians 3:17:
“Brothers, join in imitating me, and keep your eyes on those who walk according to the example you have in us.”

We struggle with perseverance, but faith is about aiming higher. It’s easier to live with small compromises with sin. We often excuse ourselves, thinking, "I can't aim that high." Yet Paul commands us not to stop or backslide. He even sets himself as an example: “Imitate me.”

Why can we persevere? Because we have the Holy Spirit, our greatest weapon. By seeking and relying on Him, righteousness works from within.
Faith is like a marathon. Watching someone complete a marathon is inspiring—they run 42.195 kilometers to the finish line, driven by discipline, preparation, and self-restraint. Similarly, God’s crown is given to those who finish the race.

In a recent message, I shared that the life of faith is like a marathon. Watching someone complete a marathon on television is always inspiring. They may have paused briefly along the way, but they kept running until they reached the finish line. With their eyes fixed on the goal, they completed the 42.195 kilometers. This distance cannot be conquered simply by a love for running. Even professional athletes sometimes retire mid-race. Completing a marathon depends more on training and self-discipline than on ability. Behind their success lies a lifestyle of health management and avoiding anything that could harm their performance.

Similarly, God’s crown is awarded to those who persevere to the end. You might currently be running through the toughest part of your marathon of faith. Or perhaps you’ve moved beyond the challenges to a smoother stretch. However, letting your guard down during easier times can lead to a fall. When the journey is difficult, slow down; when you can run faster, pick up the pace. Keep running toward the day you will receive God’s crown, anticipating it with joy.

An essential truth about sanctification is that failure is acceptable. We fail many times, but failure does not result in the loss of salvation. God allows failure because it enables us to learn and grow. Therefore, instead of fixating on failure, focus on moving from the present to the future.

Thomas Edison, after a failed experiment caused his factory to burn to the ground, demonstrated a fearless attitude toward failure. As he watched his factory burn, he called his family and said, “You will never see a fire like this again.” They watched the fire together. The next day, Edison lay on his desk in the ashes and asked those around him, “Can you make a list of the things we need to restart?” It was this kind of mindset that enabled Edison to invent not only the light bulb but many other great things.

God’s grace is renewed every day. Just as the sun rises each morning, the past is reset, and a new day begins.

Lamentations 3:22-23 (ESV):
"The steadfast love of the Lord never ceases; his mercies never come to an end; they are new every morning; great is your faithfulness."

Application: The Power of Habit

Our lives are shaped by our habits, and habits are formed through consistent actions over time. A 2009 study by the University of London found that it takes an average of 66 days for a new behavior to become automatic. The first week requires sheer willpower. The next four weeks are the resistance phase, during which many people give up. However, if this phase is overcome, the behavior gradually becomes automatic and less effortful. Therefore, the critical point is the first five weeks.

Let’s take the sin of unbelief as an example. Most people, except the wealthy, must manage their finances. When finances are positive, there is peace. However, when they turn negative, anxiety grows, leading to unbelief in God. Similarly, health issues can cause pain and anxiety, weakening one’s faith.

Instead of succumbing to unbelief, try introducing gratitude. The Bible teaches that God will provide for our needs. Trust this truth and give thanks. Reflect on how God has been faithful throughout your life and express gratitude. Even when experiencing pain, trust that God is working for your good. Even in the case of a terminal illness, it means the time to enter heaven is drawing near. Gratitude can replace anxiety and prevent unbelief from taking hold. The key is not to linger in the temptation of sin but to replace it with gratitude and praise. Believe in Christ’s presence with you and trust in the Holy Spirit’s empowering strength. Start with small steps and gradually take on greater challenges.

As Christmas approaches, what kind of gospel are you sharing? Simply saying, “Believe in Jesus and you’ll go to heaven,” can sound like the kind of religious solicitation people dislike. A gospel accompanied by the testimony of a Savior who transforms my life carries a far greater impact. Share the power of the Savior who is actively changing you.

Let us pray:
Heavenly Father, we thank You for the example of Jesus, who was sinless, and Paul, who fought against sin. We also thank You for the Holy Spirit, who continually guides and helps us. Our steps are weak and unsteady, but please continue to guard and strengthen us so that we may keep running toward the goal. Amen.